今回は、「意識が生まれるメカニズム(仕組み)」について調べました。
【注意】できる限り正確な記述を目指しましたが、不正確な記述があるかもしれませんので、ご注意頂ければ幸いです。
結論:未解明
物質である脳から、どのようなメカニズム(仕組み)で、物質ではない意識が生み出されるのかは、科学的に解明することが困難であると考えられています。
実際に、この問題は「意識のハード・プロブレム」と呼ばれ、哲学、神経科学、認知科学などの多くの分野で研究が続けられていますが、未だ解明されていません。
また、物質ではない意識が、物質からなる身体を動かしているとすると、そのメカニズムの科学的解明も困難であることが予想されます。
以下では、簡単にいくつかの分野におけるこの問題に対する取り組みを紹介して行きます。
哲学的取り組み
哲学で「意識」を取り扱う場合、その定義が問題になりますが、「意識」の定義は定まっていないようです。
そして、哲学では「意識」は「主観的な体験」であると捉えることが多いようです。
さらに、意識には様々な側面があると考えられています。
例えば、質的な側面、量的な側面、機能的な側面など。
特に、意識を哲学的に議論する場合に問題になるのが、質的な側面でクオリアと呼ばれています。
クオリアとは、歯の痛みのような、他の人に伝えにくい個人的な感覚や体験を示す哲学用語です。
つまり、「クオリアのような主観的な感覚・体験である意識を、客観的につまり科学的に説明することはできない」と言うのが哲学の結論のようです。
また、現在の科学は客観的に数量化ができる現象のみを対象にして来たため、客観的に数量化ができない対象(つまりクオリア)は扱えないと述べる哲学者もいます。
さらに、そもそも脳と意識では認識のされ方に「違い」があると主張される哲学者もいます。
その主張によると、脳の構造や各領域の役割は外部観測によって把握されるが、意識は内部観測により把握されるそうです。
この認識のされ方の「違い」のために、脳の科学的分析からなぜ意識が生じるのかを説明することはできないそうです。
神経科学的取り組み
神経科学は、これまで、脳の神経系(=神経回路)の仕組みを解明して来ました。
例えば、てんかん発作のメカニズムは、脳神経系の分析により、既に解明されています。
しかし、脳神経系を要素(=ニューロン)に分解して、その要素の性質を調べても、意識という機能は説明できないことが分かって来たようです。
なお、要素間の相互作用のために、要素の性質の単純な総和では説明できない全く新たな性質が全体に現れることを創発と言います。
つまり、意識という脳の機能は、脳の要素であるニューロン同士の相互作用つまり創発に関係する現象であることは間違いなさそうです。
また、神経科学の研究で明らかになった重要な結論は次のことです:
「脳は外界の刺激に対して直接的に反応している訳ではなく、脳内に情報を生成し外界の内的イメージを作り上げ、そのイメージに反応している」。
なお、その外界の内的イメージを作り上げる際に、脳内の過去の記憶と照らし合わせて、合理的と思われるイメージを作り上げるようです。
進化的取り組み
意識の進化的起源を調査することにより、意識誕生の謎を解明しようとしている研究者もいます。
『意識の進化的起源』(ファインバーグ及びマラット著, 勁草書房, 2017)によると、意識の進化のプロセスは次のように考えられています:
- カンブリア爆発の直前に、脊椎動物の先祖であった無脊椎動物で小さな脳が進化した.
- カンブリア爆発の間に始まった動物の捕食への反応として、初期の脊椎動物と節足動物が遠距離感覚(視覚や嗅覚)を進化させた結果、原初の意識が生まれた.
- 中生代に哺乳類と鳥類が進化した際に、記憶によって増強され発達した意識と、背側外套の拡張により、高次の意識が生まれた.
ここで、カンブリア爆発とは、約5億4千年前に突然起きた生物の爆発的進化で、動物の祖先のほとんどが一気に出現した現象です。
著者ファインバーグとマラットの論理
ここでは、著者らの意識誕生に対する論理を非常に短く私なりにまとめてみます。
著者らによると、反射が動物の神経系の進化に重大な貢献をしたようです。
反射とは、意識を介さない、外部刺激に対する俊敏で自動的な反応です。
また、著者らは「自己組織化は意識の創発に関係しているはず」と述べています。
ここで「自己組織化とは、システムの低次段階の要素間の相互作用それだけから、システムの大域的な段階のパターンが創発するプロセスである」とのことです。
さらに、著者らは「複合的または複雑な生物学的システム(多細胞生物や脳)には階層構造がある」と言います。
(【注意】例えば脳内のニューロンたちが物理的に(現実的に)階層構造を形作っている訳ではなく、生物学的システムの性質を整理・把握する上で階層構造という概念を著者らは用いているようです。)
そして、そのような階層構造においては、階層の一部が高次段階に新しい性質を生み出し(=創発し)、高次段階が低次段階を支配する(拘束する)ようになるそうです。
例えば、以下のような階層構造をイメージすると著者らの主張が理解し易いかもしれません。
- 意識、呼吸、食事、運動などの心身のレベル ↑
- 脳、心臓、肺、胃、肝臓、筋肉、目などの器官のレベル ↑
- 神経細胞、筋肉細胞、視細胞などの細胞のレベル ↑
- DNA、RNA、タンパク質などの分子のレベル
また、例えば、進化によって脳の神経階層の複雑性が増加すると、それまでの階層に新たなニューロンの段階が追加され、段階内や段階間の神経処理速度が向上するそうです。
そして、著者らは「原初の意識は、ニューロンの階層的連鎖の高次段階で、外的世界が精巧に地図で表された感覚イメージから生じた」と考えています。
つまり、視覚の神経系(神経階層)が進化し、神経階層の複雑性が増すことで、原初の意識という新たな性質が生み出されたと著者らは考えているのだと思います。
最終的に、著者らは「記憶により神経階層の複雑性がさらに増すことによって、精緻化された行動や、優れた学習力、高次の意識が創発した」と主張しています。
つまり、脳の神経階層の複雑性がこれまで理解できていなかったので、意識がどのように生み出されるのかが解明できなかったと言うことだと思います。
数理的取り組み
複雑系としての脳の数理
複雑系
脳の神経回路はニューロンからなり、非常に複雑な3次元構造を形成して脳の機能を発現しているため、脳の神経回路は複雑系であると考えられています。
複雑系という言葉には、統一された定義はないようですが、複雑系とみなされる系(対象)には次の特徴があります。
- 互いに相互作用する多数の要素が、全体を形成する.
- 各要素の性質とは異なる新たな性質が全体として生じる.
- 全体は要素から成るが、要素は全体の影響を受けていて、要素と全体は分離不可能.
- 要素間の相互作用が非線形に足し合わせられることで、全体の機能が生じる.
上記以外にも複雑系の特徴はあるようですが、ここでは脳の神経回路に関係すると思われるものを挙げました。
ちなみに、非線形とは、比喩的に言うと、1+1が2より大きくなったり、2より小さくなったりする現象や理論のことです。
また、線形とは、比喩的に言うと、1+1=2が成り立つ現象や理論のことです。
要素還元論
複雑系である脳の機能(知覚, 記憶, 学習, 意識など)は、従来の科学の方法つまり要素還元論では解明することが困難であると考えられています。
ここで、要素還元論とは、全体を要素に分解して理解することで、低次階層の各要素の性質を分析し、それら要素の性質の足し合わせで、高次階層の性質を再構成することで全体を理解しようとします。
また、要素還元論は、重ね合わせが成立する線形理論とは相性が良いと考えられています。
しかしながら、脳の神経回路は複雑系で非線形なので、線形の重ね合わせが成り立たないと考えられています。
つまり、脳の神経回路における非線形性が、脳機能の全容解明を困難にしていると言えるかもしれません。
数理モデル
脳の数学的研究では、まず脳の神経回路に関する実験・観測データから数理モデルをつくることから始めるようです。
数理モデルとは、理解したい現象に対する観測データなどから本質的な性質を予想および抽出し、微分方程式などを用いて、その性質を数式として表現することです。
数理モデルの数式や微分方程式は、厳密には解けないことがほとんどであるため、コンピュータで数値的にその数式や微分方程式から解を得ることになります。
そして、コンピュータを使って得た数値データを力学系理論や確率論などの手法でさらに解析し、モデル中のパラメータを調節したりモデルを修正したりして、実験データを再現できるモデルを構築するようです。
モデルが実験データを再現できるようになれば、そのモデルを作る際に仮定または予想したその現象の本質的性質は妥当なものであったことになるようです。
このようにして、対象となった現象の本質的な理解や解明に迫って行くようです。
なお、脳の神経回路のモデル化では、予測のつかない複雑な現象を扱うカオス理論(カオスニューロンモデルやカオスニューラルネットワーク)が使われているようです。
統合情報理論
意識を扱う理論として、現在、注目されているのが、統合情報理論です。
以下では、統合情報理論を研究されている方の文献に基づいて、この理論を簡単に紹介します。
この理論は、脳内ニューロンの電気的・化学的性質から意識が生まれるメカニズムを説明するための理論ではないようです。
この理論では、意識の存在を認め、意識の性質を数学で記述する(定式化する)ことをまず第一に目指します。
意識の性質
統合情報理論が公理として掲げている意識の本質的な性質は、次の4つです。
- 意識の情報性:意識をもつシステムで生み出される情報だけが意識に関係する.
- 意識の統合性:意識をもつシステム内では、情報は統一される.
- 意識の構造性:意識をもつシステムの情報の構造が意識の質(クオリア)を決める.
- 意識の排他性:意識をもつシステム間には境界線があり両者が重なることはない.
ただ、これら4つの公理を分かり易く説明するのは、なかなか難しいようです。
実際に、これら公理における「情報」という言葉の定義も難しく、「情報とは、観測者に依存せずに、意識をもつシステムの内的な性質のみから決まるもの」とのことです。
この定義の背景には、「意識とは、あるシステムにとっての主観的な体験であって、外部の観測者に依存せず一意に決まる量であるべきである」という考えがあるようです。
また、別の表現としては、「情報とは、現在と過去および未来との因果性を定量化したもの」とも言えるようです。つまり、現在の自分の状況から、自分の過去(原因)や未来(結果)をどれだけ予測できるかを定量化したものが情報であるとのことです。
一方で、意識の統合性という公理は、意識に対する直観的なイメージと比較的一致していると思います。
例えば、右目で得た情報と左目で得た情報は、脳の中で統一され、私たちの意識体験になります。
また、意識の排他性という公理は、例えば、人間の集団つまり会社や学校などに意識を持たせないための条件のようです。
また、意識の構造性という公理も簡単には説明できない公理のようです。
ただ、人間が視覚から得た情報が概念化され、例えば、意識体験に「近い」,「遠い」のような関係性が生まれるのは、人間の脳の中にこの関係性と同一の情報構造があることを意味しているそうです。
理論の構築法
意識の性質(公理)により意識を数式で表したならば、次に、その数式から導かれる予測を実験データや観測データと比較し、理論的に導かれた予測が本当に正しいかどうか検証するそうです。
実験データと一致しなければ、公理や(公理から導いた)仮説を修正し、再び実験データと比較することを繰り返すようです。
そうして実験データを再現できる数式が得られたならば、今度はその数式からさらなる理論的予想を導いたり、計算対象を人間の意識から人間以外のモノの意識へ拡張したりするようです。
なお、統合情報理論は完成された理論という訳ではなく、開発途中にある理論であるようです。
余談になりますが、意識を扱う理論としては、グローバル・ニューロナル・ワークスペース理論という意識と無意識の関係など意識に関する事柄を包括的に説明する理論もあります。
人工知能的取り組み
これまでのところ、意識をもつモノは、全て生物です。
しかし、人工知能(AI)やロボットにある特徴や機能をもたせることで、人工的な意識を作り出し、「意識の謎」の解明に繋げようする研究があります。
ここでは、そのような研究をされている研究者の方の「意識に対する考えや洞察」を紹介します。
ある研究者の方は、「AIやロボットが自分自身についてのシミュレーションができること」が意識に繋がると考えています。
ここで、自分自身についてのシミュレーションとは、「過去の経験を参照しながら、未経験の新しい状況にいる自己を想像すること」だそうです。
既に、ロボットが自分自身の身体がどう動くのか自分で想像できる段階まで研究が進んでいるようです。
未来を予想し、危険を回避することは、生物が生き残る上で自然と身につけて来た能力ですが、ロボットにもその能力が備わりつつあるようです。
さらに、クオリアのような主観的な感覚さえも、既にディープラーニング(機械学習の一部)の過程で生み出されているのではないかと言われています。
つまり、例えば物体認識をするディープラーニングでは、入力されたデータから最終的な判断や結果を出力するまでには、中間層において多様な関係性が生成されますが、その中間的なモノがまさにクオリアと考えられないかと言うことのようです。
また、自律したAIの開発には、生命のように、外界と常に相互作用を持たせることが必要であると考える研究者もいます。
また、感覚器官から得た情報と、脳内で形成された「抽象化された情報のモデル」とをうまく統合するのが意識であるという考えの基にロボット開発を行う研究者もいます。
おまけの哲学
人間が脳内に外界の内的イメージを作り上げ、そのイメージに反応しているとすれば、人間の知能の限界(上限)は、外界である宇宙や生命を理解することになるのでしょうか。
もちろん、人間には理解したことを応用できる能力があるので、宇宙や生命を完全に理解できれば、人間のできることは格段に広がると思います。
それでは、人間が考え出すことができない物とは何でしょうか。
外界(宇宙や生命)に存在しない物は考えることができないのでしょうか。
ただ、人間は外界に存在している物から推論や想像はできるので、外界に存在しない物でも考え出すことができます。
例えば、ペガサス、タイムマシーン、ワープ、不老不死、数学などです。
これらは、外界から得た実在する物の情報を概念化し、その概念を都合よく操作して生み出された想像物(新たな概念)であると考えられます。
それでは、宇宙に存在しない物とは何でしょうか。
人間には知覚または観測できない物が、宇宙に存在しない物でしょうか。
なお、人間には観測できない物が宇宙や生命の原理および物理法則に含まれるとすれば、人間は宇宙や生命を完全には理解できないことになると思います。
しかし、観測はできないが、想像や推測、予想はできる物は沢山あります。
実際に、物理学の理論(素粒子論)は、人間の想像物を実在する物に変えて来ました。
人間が知覚できない物でも、人間が物理的実在として理解できているのは、物理学や数学の理論のため(つまり人間の論理的思考力や想像力のため)だと思います。
話がまとまらなくなって来たので、最後にここで私が伝えたかったことを以下に図示してみます。
果たして、「人間が考え出すことができない物」について考えることは意味があるのでしょうか。
宇宙の外には、「人間が考え出すことができない物」が沢山あるのでしょうか。
人間が考え出すことができないデザインや図形、数学もあるのだと思います。
では、人間が考え出すことができるデザインや図形、数学とは、結局何なんでしょうか。
追加の話:非線形な積み重ね
平安時代の日本人から見れば、現代の世界は「人間が考え出すことができない物」ばかりだと思います。
人間の知識や科学技術の積み重ねは、過去の時代の人から見れば、不可能を可能にする神業(かみわざ)のようなものかもしれません。
ゆえに、最初の生命の誕生やそれ以降の生命の進化も、分子レベル、細胞レベル、器官レベル、身体レベルでの長い時間をかけた試行錯誤の積み重ねの結果かもしれません。
人間として形作られてしまった現在の私たちには、最初に生命が誕生した時の分子レベルの記憶はもちろんありません。ゆえに、現在の私たちから見れば、当時の分子レベルのシステム形成は、現在のところ神業としか考えられないものになっています。
それでは、平安時代の日本人が現代の科学技術を正確に理解するには、どうすれば良いのでしょうか。