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科学

陰陽五行と自然科学

今回は、古代中国の思想である「陰陽五行」という考え方から自然科学の難問を解くヒントを得られないかを考えてみます。

つまり、「陰陽五行」という思想から人間のアイディアや発想の根源に迫(せま)りたいと思います。

陰陽五行の始まり

「陰陽五行」の思想は、上野由美子著『香港仕込みの陰陽五行マスターによる 現代版 陰陽五行の教科書』(スター出版、2022)に分かり易く書かれています。

この記事では、この本を参考にしています。

陰陽五行では、世界は何もない所から始まったと考えるようです。

物理学の宇宙論には、宇宙の始まりについて幾(いく)つかの仮説がありますが、確かに、「無」から極小宇宙が生まれたという説があります。

世界には何もなかった様ですが、やがて混沌とした状態(太極)が生まれ、そこから、「陰」と「陽」という正反対の性質のもの(両儀)が生まれたと考えるようです。

確かに、宇宙論でも、インフレーション(宇宙空間の膨張)の後に、ビックバンが起こり、無数の素粒子、つまり、無数の「素粒子」と「反粒子」の生成と消滅で、膨張中の小さな宇宙空間はごった返すことになったと考えられています。

そして、陰陽五行では、

「陰」のエネルギーの内、北に集まったものが「水」と呼ばれる気となり、

「陽」のエネルギーの内、南に集まったものが「火」と呼ばれる気となったそうです。

さらに、

「陽」の残りのエネルギー内、東に集まったものが「木」と呼ばれる気になり、

「陰」の残りのエネルギー内、西に集まったものが「金」と呼ばれる気になったそうです。

また、

四方からの余ったエネルギーが中央に集まったものが「土」と呼ばれる気になったそうです。

ゆえに、世界は、5つの要素つまり「水・火・木・金・土」から成り、これらが互いに影響を及ぼし合っていると考えるようです。

なぜ、5つの要素なのか気になるところです。東西南北の4つでは駄目だったのでしょうか。人間の指が5本だからという単純な考えではないようですが。

また、「火」と「水」は「形なし」でハッキリした形がなく流動的なものであるようです。

一方、「木」と「金」は「形あり」で物質として形があるそうです。

また、「土」は「形あり」でもあり「形なし」でもあるもの、つまり、両方の性質を持つものであるようです。

素粒子論によると

素粒子論(物理学)では、現在のところ、標準理論が採用されており、宇宙を構成する究極の要素(最小単位)として17個の素粒子が発見されています。

これら17個の素粒子は、4つのグループに分類されています。つまり、

  1. 原子核を構成する「クォーク」と呼ばれるグループ(6つの素粒子から成る)
  2. 電子などを含む「レプトン」と呼ばれるグループ(6つの素粒子から成る)
  3. 力を伝える「ゲージ粒子」と呼ばれるグループ(4つの素粒子から成る)
  4. 質量の起源である「ヒッグス粒子」(1つの素粒子から成る)

です。なお、3)の「ゲージ粒子」には、5つ目の素粒子として重力を伝える「重力子」が予言されていますが、標準理論では「重力子」は扱えないそうです。

なお、全ての素粒子には「反粒子」と呼ばれるペアとなる粒子があります。反粒子は素粒子とペアになると(結び付くと)対消滅します。

また、「クォーク」と「レプトン」は物質粒子と呼ばれ、物質を形作るものです。つまり、陰陽五行の「形あり」に対応するものと考えることができます。

一方、「ゲージ粒子」と「ヒッグス粒子」は、素粒子間に力を伝えたり素粒子に質量をもたらす粒子で、陰陽五行の「形なし」に対応するものと考えることができます。

それでは、「形あり」でもあり「形なし」でもあるという「土」に対応する素粒子はないのでしょうか。

もしかすると、「土」はダークマターやダークエネルギーに対応するものなのかもしれません。

ダークマターやダークエネルギーは、その存在が宇宙の観測データから論理的に予想されているものの、まだその正体が明らかになっていない未知の存在です。

五行とは

陰陽五行では、世界を構成する5つの要素「木・火・は、循環する・巡ると考えるようです。

五行の「行」とは、循環することや変化・動きを意味しているようです。

つまり、下図のようなサイクル・循環システムがあると考えるそうです。

このサイクルは、次の生み出す関係(相生関係)から出来ています。

  • 「木」は「火」を生み、
  • 「火」は「土」を生み、
  • 「土」は「金」を生み、
  • 「金」は「水」を生み、
  • 「水」は「木」を生む。

さらに、五行にはその循環のバランスを保つ相互作用(相剋関係)があります。

つまり、

  • 「木」は「土」を剋(こく)し、
  • 「土」は「水」を剋し、
  • 「水」は「火」を剋し、
  • 「火」は「金」を剋し、
  • 「金」は「木」を剋す

ようです。ここで「剋(こく)す」とは、「制御する」「抑(おさ)え込む」(場合によっては「破壊する」)という意味です。

この「剋し」がないと、生き物やシステムは、バランスを崩して、拡大・膨張する方向へどこまでも進んで行ってしまうようです。

この五行の考えは、宇宙の要素は、その相互作用からシステムや構造を自発的に作り出すことを示唆しているのかもしれません。

つまり、素粒子は、その相互作用から必然的に何らかのシステムや構造、例えば、原子や太陽系や細胞(生命)を形成する性質があるのかもしれません。

化学や生物学では、自己組織化という現象が発見されています。無秩序に存在していたはずの要素たちが自発的に秩序立ったシステムを形成する現象ですが、陰陽五行で説明できるでしょうか。説明できるとすれば、対象を(又は対象が)生み出す要素の存在よりも、対象を剋す要素の存在がキーポイントになるのかもしれません。

全ては繋(つな)がっている

「宇宙は一つの分割できないものであり、各部分が密接につながって全体ができています」

引用元:上野由美子著『香港仕込みの陰陽五行マスターによる 現代版 陰陽五行の教科書』(スター出版、2022)

この言葉はよく見聞きする言葉ですが、陰陽五行から来ている言葉なのでしょうか。

確かに「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉もあります。

さらに、その本によると、

すべてはつながっているからこそ、どんな一部分にも全体の情報が含まれているとするのが全息論です。

引用元:上野由美子著『香港仕込みの陰陽五行マスターによる 現代版 陰陽五行の教科書』(スター出版、2022)

確かに、人間には、日常のちょっとしたヒントや気付きから閃(ひらめ)き、大きな発見をしたり、難問を解いてしまうことがあると思います。

例えば、物理学者のニュートンは、リンゴがリンゴの木から落ちるのを見て、重力の発見に至ったとよく言われています。この話は事実ではないという説もあるようですが、そう言うことだと思います。

ある問題を長い間考え続けていると、何気ないことがヒントや気付きになり、問題が急に解決することがあるというのもよく聞く話です。

つまり、類似性(比喩や喩(たと)え)で世界は繋(つな)がっているということかもしれません。

言い換えれば、世界は、類似の構造で溢(あふ)れているということかもしれません。

直感が鋭い人というのは、このような類似性や対応関係または対称性にいち早く気が付き、その本質から世界を捉える・認識することができる人、つまり、その本質を自分の問題に応用できる人なのかもしれません。

つまり、日常の物事から、人間は宇宙全体を理解できるということなのかもしれません。

つまり、日常の物事の中に、全ての本質(=原理やアイディア)は隠されているということかもしれません。

あとは、その本質や原理に気付けるかどうかと言うことになるのかもしれません。

ただ、気付けないから、多くの人は困っているのだと思います。気付き方は誰も教えてくれません。たとえ誰かが又は何かが必死に教えてくれていたとしても、気付かない時は、気付かないものなのだと思います。さらに、人それぞれ気付きたい事や気付かせてくれるものは、違うのかもしれません。

人間は、外界からの刺激(情報)を取り込み、その刺激を解釈し世界を構築・認識しているそうです。

すると、やはり、その刺激に対して、いかなる意味や価値を見出すか・いかに解釈するかが問題ということになるのだと思います。

つまりは、認知力が人間の大きさということになるのかもしれません。物知りになれば良いという訳ではないと思います。気付きたい時に気付けるのが重要なのかもしれません。

陰陽と二項対立

哲学によると、人間の認識・思考の根本的なところには、対立する二つの概念で世界を区別(分節)し、世界を把握して行くという特徴があるそうです。

例えば、対立する二項対立的な概念には、

  • 真と偽
  • 美と醜
  • 善と悪
  • 天と地
  • 高と低
  • 静と動
  • 強と弱
  • 無と有
  • 長所と短所
  • 能動と受動
  • 肯定と否定
  • 肉食と草食
  • 味方と敵
  • 内界と外界
  • 入力と出力
  • 主観と客観
  • 自分と自分以外
  • 粒子と反粒子
  • 抽象と具体
  • 変化と不変
  • 一般と特殊
  • 演繹と帰納

などがあります。

これらの二項対立から人間は思考を展開して行く・結び付けて行くようです。つまり、まず両極端なことを押さえてから、すなわち範囲や枠(わく)を決めてから、中間的なこと(グレーな部分)を把握・検討して行く思考傾向があるようです。

陰陽五行の「陰」と「陽」も、基本的にはこのような対立・相反した概念なのですが、少し興味深い特徴があります。

それは、「陰」がその極致に達すると、「陰」の中に「陽」が生まれるようなのです。

反対に、「陽」がその極致に達すると、「陽」の中に「陰」が生まれるようなのです。

つまり、「陰」と「陽」は常に共存していて、実は通じている・循環しているもので、「陰」と「陽」は完全には分離できないという考え方があるようです。

例えば、人間社会に疲れてしまい人間社会を離れて、山奥で修行している仙人が、修行の最高の境地まで達すると、人間社会を離れていたはずなのに、人間社会の誰よりも人間社会の本質を理解していたということなのかもしれません。

また、理系の学問(数学など)が嫌いで、文系の学問(哲学など)ばかり勉強していた人が、その極致まで達すると、理系の学問を勉強していた誰よりも理系の学問の本質を理解していたということなのかもしれません。

また、会社で普通に働くことができず、自分の好きな事ばかりしていた人が、その極致まで達すると、会社で普通に働いていた人の誰よりも稼げるようになっていたということなのかもしれません。

ある道(業界)にある程度踏み込んでしまうと、逆に、見えなくなってしまうこともあるということかもしれません。研究の世界では、このような事がよくあるように思えます。そのためか、研究の世界では広い視野(インフレーション?)を持つことがしばしば強調されています。全ては類似性で繋がっているので、色々なことからヒントや気付きを得よということなのかもしれません。

上述の本によると、太極(混沌とした状態)から両儀(陰と陽)が生まれた時から矛盾が生まれるそうで、矛盾こそが全ての始まりだと考えられるようです。

確かに、宇宙の最初期のビックバンでは、素粒子とその反粒子が同時に生成したはずですが、現在の宇宙に有効に残ったのは、素粒子の方だけなのです。反粒子の方はどこに行ってしまったのでしょうか。矛盾です。

陰陽五行と公理主義

数学の世界には、公理主義という言葉があります。

(公理とは、簡単に言うと、根本原理のようなもののことです。)

大まかに言うと、公理主義とは、公理群(=公理の集まり)という出発点から、必要な全ての定理や命題が導出(演繹)できるように、数学理論を構築しようとする主義です。

陰陽五行の思想でも、五行(木・火・土・金・水という5つの要素)で世界の多くの物事を説明しようとします。

やはり、古代から、人間には、より本質的な概念で、全てを説明したい・理解したいという欲(希望)があったのかもしれません。

つまり、五行は公理群であると考えられます。

人間の全ての認知・認識が、「木・火・土・金・水」の5つの概念に還元(帰納)できるならば、この考えは妥当なのかもしれません。

哲学的に言い換えれば、世界は「木・火・土・金・水」の5つの概念で、又はその組合せと循環関係で、分節できるのか・区切ることができるのか・捉えることができるのか、という問いに帰着すると思います。

ここで注意したいのは、例えば「木」は物質的なつまり具体的な木を表している訳ではないのです。「木」は木のような性質をもつ抽象的な概念を表しているようなのです。

つまり、「木」は木のようなものの「喩(たと)え」なのです。

ゆえに、現実的な・物理的な木からイメージ・連想できることは、「木」の概念に含めることができてしまうのです。

例えば、現実的な木は生命なので、「木」の概念には、生命という意味も含めることができるのです。ゆえに、「木」は、場合によっては、人間を表していると解釈することもできるようなのです。

ただ、闇雲に連想ゲームを続けてしまうと、何でもアリになってしまうので、難しいところだと思います。

つまり、五行の最も根源的な意味や本質を押さえることが大切になると思います。

人間の認知・認識の根本的なところには何があるのか。

どのような概念(原理)群を採用すれば人間の多様な認知・認識を説明できてしまうのか。

このようなことを問う研究は興味深いかもしれません。

おまけ:矛盾が全ての始まりなのか

上述の「全ては繋がっている」という考え方について、哲学的に考えてみたいと思います。

哲学的には、外界の物事・出来事が本当に全て繋がっているかどうかは、確かめることができない事・確信することができない事に分類されると思います。

ただ、人間には、外界の物事(情報)を、類似性などの関係性によって、結び付けて考える思考傾向があるということだと思います。

人間の認知の型(かた)や構造に従って、外界の情報を繋げて行くのが得意な人がいるということかもしれません。

数学というのは、この人間の認知の型や構造に密接に関係したものなのだと思います。

世界を抽象的に・客観的に認知(分節)するための人類共通の手段や言語または道具(?)が数学なのかもしれません。

いずれにしても、このような思考傾向があるので、全てが繋がっているように思えることもあるということかもしれません。

外界の物事(情報)をどのように解釈するかは、内界(=脳の性質)次第ということになるのだと思います。

哲学的には、外界には絶対的なものはなく、あるのは内界の解釈・確信・欲望のみということになっているようです。

しかしながら、陰陽五行の「陰」と「陽」のように、外界と内界は共存していて・繋がっていて、完全には分離できないものなのだと思います。確かに、身体と精神も、このような関係にあると思います。

素粒子論では、物理学の4つの力(重力、電磁気力、強い力、弱い力)を統一する理論はまだ完成していません。超弦理論はその有力候補であるようですが、問題もあるようです。

もしかすると、重力は「陰」の力で、重力以外の3つの力は「陽」の力なのかもしれません。つまり、「陰」と「陽」が完全に分離できないのと同時に完全に融合できないものであるように、「陰」の力と「陽」の力は完全には統一できないのかもしれません。

矛盾が全ての始まりなのでしょうか。

世界(外界)が矛盾しているのではなく、そもそも人間の脳(認識)の性質として矛盾が存在しているのかもしれませんが。

おまけのおまけ:ABC予想と陰陽五行

NHKスペシャル『数学者は宇宙をつなげるか? abc予想証明をめぐる数奇な物語』によれば、数学の難問に「ABC予想」と呼ばれる問題があり、その問題の証明には「同じものを違うものと見なす」という矛盾したアイディアが使われているそうです。

なお、その証明は完全に正しいと認められた訳ではないようです。

数学は「異なるものを同じと見なす」というアイディアで発展して来たそうですが、その逆である「同じものを違うものと見なす」というアイディアは、多くの著名な数学者には受け入れがたい矛盾であるようです。

陰陽五行的にも、異なるもの(対立するもの)の中に同じものを見出すことは、許容されているような気がしますが、同じものを違うものと見なすことは、難しいと思います。

陰陽五行的に、無理やり、同じものを違うものと見なすには、「天地(宇宙)の始まり」の時と同じように、まず太極(=混沌とした状態=識別不可能な状態)を作り出す必要があるかもしれません。

そして、「陰」と「陽」という共存し循環する(周期的に常に強弱が変化する)二項対立を作り出すことによって、同じものを違うものと見なすしかないのかもしれません。

しかし、やはり矛盾がないと、一時的に「陰」と「陽」に分離はできても、しばらくすると融合して同じものになってしまうかもしれません。

ちなみに、太極とは、三体問題(解析的に解けない問題)で、二項対立とは、二体問題(解析的に解ける問題)なのかもしれません。陰陽五行の「陰」と「陽」は表面上は二項対立的なのですが、その本質には三体問題的な部分が存在するものなのだと思います。