今回は理論系研究者の日常や生態などを紹介します。
日々のスケジュール
理論系研究者の日々は、非常に単調で地味だと思います。例えば、次のようなスケジュールで日々を過ごすことが多いと思います。
- 大学に行く.
- 研究する.
- 昼食を食べる.
- 研究する・議論する・発表する.
- 帰宅する.
ただ、研究している時間の内容はその日その日で違います。例えば、
- 論文を読んでいたり、
- 数式の導出をしていたり、
- 計算プログラムを作っていたり、
- 研究発表の準備をしていたり、
- 論文を書いていたり。
単調でつまらなそうだと思われるかもしれませんが、この単調さが大切だと思います。
この単調な時間に集中して「頭を使う厄介なこと」をしてしまうのです。
落ち着きのない日々では、なかなか集中した状態になれないと思います。
私の場合は、集中した状態になれないと、「頭を使う厄介なこと」はできなくなってしまいます。
ちなみに、意外と集中を乱すものとして、(教授からの)電話があると思います。
研究者の好奇心
「研究者は好奇心が大切だ」と言われていますが、私自身はそんなに好奇心が強い方ではないです。また、好奇心が強いなと感じる研究者と出会ったこともない気がします。
表面的な会話では、好奇心の強さというのは、分からないのかもしれません。
好奇心よりは、探求心の方が重要な気がします。
ただ、「研究者は好奇心が大切だ」という時、好奇心と探求心は同じような意味で使われているのかもしれませんが。
小学生の探求心
私は小学生の時に、従妹のお姉ちゃんとレンタルビデオ店に行ったことがありました。その時、出入口のところに2枚の板のような物があることに気付き、お姉ちゃんに「何これ?」と尋ねました。
お姉ちゃんは「万引き防止の装置だよ」と教えてくれました。
しかし、小学生の私はこんな2枚の板が万引き防止の装置であるはずがないと思いました。
そこで、私は店内のビデオを1つ持ち、その2枚の板の間を通り抜けてみました。
すると、店内にブザー音が鳴り響き、店員さんが直ぐにやって来ました。
お姉ちゃんはまさかの事態にあたふたしながら事情を店員さんに説明していましたが、私は「なるほど本当だぁ」とこの装置に感心していました。
研究ができる人・できない人
私は大学院生の時に研究室の助教の方から、「君は研究ができるタイプだね」と言われたことがありました。
この時、私は「研究ができないタイプがいるのか?」と少し不思議な気持ちになりました。なぜなら、私以外の大学院生たちも全員研究していたからです。
しかし、私も研究を続けるにつれて、研究ができないタイプがいるのかもしれないと思うようになりました。
研究ができないタイプの方でも、表面上は研究ができています。実際に、そのようなタイプの方でも博士号を取ったり、教授になったりしています。
それでは、研究ができるタイプとできないタイプの違いは何でしょうか。それは自分が好きなものに対する探求心の強さではないかと思っています。
私のような者が申し上げるのも申し訳ないのですが、研究ができないタイプの特徴として次のものが挙げられるかもしれません:
- 研究をするにつれて出て来た疑問点を深く掘り下げて考えることがない.
- 形式にばかりこだわる.(本質を見失っており本末転倒になっていることがある)
- 自分から積極的に関連する研究を勉強しない.(常に受け身)
- 論文に出ている結果などを疑わない.(伝聞推定ばかりする)
- 実際に検討せず頭の中だけで結論を出してしまい、ネガティブな事ばかり言う.
- 厄介なことや難しいことには全く取り組もうとしない.(数学が苦手)
- 研究の全体的な整合性が取れていなかったり、論理が破綻している.
- 嘘をつく.
ただ、高いレベルから見れば、研究ができるタイプとできないタイプを区別することはあまり意味がないかもしれません。誰でもどちらのタイプの特徴も持っていると思うからです。
研究者のメンタル
近年、大学などで研究を行っている学生や研究者のメンタルヘルスが注目され、問題が生じた場合には適切なメンタルヘルスケアを受けられるようになって来ています。
やはり、研究室という閉鎖的な環境の中で、見通しがつきにくい研究をしている学生や研究者のメンタルは、不安定になってしまうことが多いようです。
厳しい研究室
私が大学4年生の時に所属した研究室は、実験がメインでしたが理論的研究も行っていました。今振り返ってみると、非常に厳しい研究室だったと思います。
週一回ある研究ミーティングでは、4年生の女子学生が教授に厳しく指導され、泣いてしまいました。
また、研究室のメンバーのほぼ全員が毎日12時間ぐらい研究室に居ました。土曜は7時間ぐらいで、日曜は一応休みですが、研究している先輩もいらっしゃいました。
ただ、全員で頑張っているにもかかわらず、その研究室から出る論文はそれほど多くはなかったと思います。
私も4年生の時に2回教授に怒られたことありました。1回目は研究ミーティングで居眠りをしてしまい、今後居眠りしないという念書を書かされました。言い訳させて頂くと、その日は朝早くから実験の方々の後片付けを一人で3時間ほどしていたので、疲れが出てしまったのだと思います。
2回目は、教授から「読んでみて」と渡された論文のファイルを教授室に戻していないという理由で怒られました。何時何時までに戻しておいてと言われていれば、戻したのですが、何も言われなかったのでそのままに。
今思い出したのですが、みんなが研究室の掃除をしている時に、私一人勉強していたら、教授から嫌味ぽく注意されてしまいました。以後気を付けています。
メンタルの強い先輩
その研究室の教授は口が悪く、学生を言い負かすことに快感を感じているようでした(ご本人がそのような事をおっしゃっておりました)。
ところが、大変打たれ強い先輩(以下、K先輩)がいまして、教授からボコボコに言われても、しっかり自分の意見を言い返し、めげずに研究を頑張っておりました。なかなか口の悪い傲慢な教授に言い返せるものではありません。
今にして思うと、K先輩はメンタルの強い方だったと思います。見た目は一見普通の学生なのですが、大胸筋が鍛えられているような感じだったことは覚えています。水泳や筋トレなどをされていたのでしょうか。
いずれにしましても、その強靭な大胸筋のおかげで、教授のあの猛攻撃に耐えられたのだろうなと私は思わざるを得ませんでした。普通なら大学に来なくなっていても不思議ではありません。
なお、K先輩は友達との絆を大切にされているようで「友達と離れたくないから、友達と同じ地域で就職する」と言っていました。また、K先輩は同期の方々とも先輩の方々とも仲が良く、後輩にも優しかったです。頭の良い先輩でした。
厳しい研究室の傾向
よくある事かもしれませんが、教授が厳しい研究室では、学生たちの仲は良いと思います。教授への不満や敵意で学生たちが団結しています。
逆に、教授が優しい研究室では、学生たちの仲は悪くなり易いようです。
また、厳しい研究室には、教授の信者になってしまう学生が必ず居るようです。確かに、教授に褒められたいと思うようになっていた女子の先輩がいました。凶悪人質事件のような極限状況で犯人に協力してしまう人質の心理といいますか、一種のマインドコントロールに似た心理状態なのかもしれません(すみません、言い過ぎました冗談です)。
また、厳しい研究室には、なぜか教授から全く怒られない学生が一人は居るようです。私の知る限り、その理由は色々あるようです。例えば、その学生が病気を患っていたり、怒るに値しないと判断されてしまった人物だったり、怒られると大学に来なくなってしまうタイプだが有能だったり、有名企業の経営者のご子息だったり、官僚や大学教授のご子息であったり。
神妙な顔して食事
その研究室では、みんなで昼食に行く慣習がありました。ただ、4年生はまだ緊張していたり気を遣っていたりして先輩たちのようには食事を楽しんではいませんでした。
そんな折に、私たちのグループの隣に座っていた学部3年生ぐらいの2人の学生が、「神妙な顔してみんなで食事してやがる」と私たちに聞こえる声で会話を始めました。
4年生の学生たちが薄々感じていた違和感のようなものをズバリと言い当てられたような感じでした。私は少し笑いそうになっていたかもしれません。
変な空気を感じ取ったのでしょうか、慌ててリーダー的存在の先輩が「場所を変えよう」と言い、その2人の学生から少し離れたテーブルにみんなで移動しました。
厳しい研究室で学んでしまった事
現在では厳しい研究室は、色々と問題視されることが多いと思います。私がその厳しい研究室で学んでしまった事は「限界まで自分を追い込んででも頑張ること」です。
卒業研究での「何だ私もここまで頑張れるではないか」という発見は、その後の研究生活を自ら長時間労働にしました。
しかし、やはり長時間労働の継続は、何らかの形でその人物に悪影響を与えると思います。
例えば、本人も気付かない内に、精神や肉体をじわりじわりと蝕んでいたり、態度や性格を狂暴なものに変えているかもしれないので、注意が必要だと思います。
さらに、一度神経を擦り減らしてしまうと、中々元に戻らなくなるので、厄介です。
ゆえに、理論系の研究の場合は、長時間労働よりも適度な研究時間で集中した方が良いような気がします。さらに、できれば、自分の落ち着く場所で研究や作業した方が良いと思います(研究室がベストな場所だとは私は思いません)。
最近思うこと
最近、私の研究分野でも研究室が次々と減らされています。つまり、研究室の教授が退職してしまうと、新たな教授を採用せずに研究室ごと無くしてしまうのです。
研究分野には流行りすたりがあるので、仕方ない事かもしれません。
ただ、「おかしいな」と思うことがあります。大学に残って研究を続けて頂きたいと思う研究者の方々が大学を去り、あまり良い研究をしていないのではないかと思われる研究者が大学に残っているような気がしてならないのです。
研究者以外の一般の方には分かりにくい事だと思いますが、研究ができない又は研究が得意ではない教授というのは意外と多いのです。
一般の方は、研究が得意だから、教授になれたのではないかと思うかもしれませんが、そうとも言えないこともあるのです。
つまり、大学というのは、組織なので、「組織の力学」で教員が採用されることが意外に多いのです。
例えば、その分野の研究で日本を牽引して来た大教授の研究室で、助教や准教授をしていた方が別の国立大学で准教授や教授になったり、その研究室の出身者がいつの間にか准教授になっていたりすることがあります。
実力が伴っていれば、それでも全く問題がないのかもしれませんが、研究能力以外のブランドみたいなもので採用されているような気がします。(もちろん、実力が伴っている方も大勢いらっしゃいます。)
ブランドという意味では、たとえ東大や京大の出身者でも、経歴に少し「キズ」があるだけで、たちまち採用されにくくなってしまいます。
話を戻しますと、大学というのは組織なので、教員は研究ばかりやっていれば良いという訳ではないという事らしいのです。つまり、実際の研究能力はそれほど重視されないこともあるという事です(ただ、見かけ上の業績はそれなりです)。組織に忠実でその組織に貢献できる組織型人間が欲しい場合もあるようです。
ただ、研究で一流の成果を出していない教授に研究の指導をされてしまう学生は、ハッピーとは言えないと思います。研究にあまり興味のない学生もいるので、問題ないと流されてしまうのかもしれませんが。
なお、その学問分野の進歩に貢献するような成果を出している研究者というのは、普通とは違った考え方や視点、問題解決法、情熱をもっており、所属する学生が企業に就職しようとも学術界に残ろうとも、一緒に居るだけで「学び」になる(色々と考えさせられる)ところがあります。
また、中国などの周辺諸国の研究能力の急激な成長を考えると、呑気なことをやっている場合ではないと思います。
そのような教員ばかりを採用していると、日本のその分野は世界で戦えなくなり、結局、日本ではその分野は衰退することになるのではないかと心配になります。
ノーベル賞受賞者の大隅良典博士もある記事でおっしゃっているように、今後も日本が世界で戦って行くためには、研究しかできない変な人も大学に残す・採用する勇気が必要だと思います。