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科学

超弦理論から人間の認識の構造について考える

今回は、超弦理論の本を読んで、人間の認識の構造について考えてみたいと思います。

超弦理論とは

超弦理論については、大栗博司(著)『大栗先生の超弦理論入門(ブルーバックス)』(講談社, 2013)に分かり易く書かれています。

本記事では、この本を参考にしています。

4つの力

物理学では、この宇宙に存在する力は4つだけであると考えられています。

その4つの力とは、

  • 重力
  • 電磁気力
  • 強い核力(または単に「強い力」)
  • 弱い核力(または単に「弱い力」)

です。

これら4つの力は、物質の最小単位である素粒子の間に働いています。

素粒子とは、簡単に言うと、電子とか、クォークとか、ニュートリノとかのことです。

その本によると、

  • 強い力は、クォークを互いに引き付けあって、陽子や中性子を形成する力で
  • 弱い力は、原子核からの放射線の原因となる力

であるそうです。

ちなみに、「強い力」と「弱い力」の名前の由来は、

  • 強い力は、電磁気力より強いから
  • 弱い力は、電磁気力より弱いから

だそうです。

ミクロな世界の理論である標準理論では、電磁気力、強い力、弱い力に関わる現象は記述することが(予言・計算することが)できるそうです。

しかし、標準理論には、重力が含まれいないそうです。

と言うのは、ミクロな素粒子の世界では、重力は他の3つの力に比べて非常に小さく、無視できるからだそうです。

重力は、質量が非常に軽い素粒子にはほぼ働かないそうです。

ただ、無数の巨大質量が存在する宇宙での出来事や現象を記述するには、重力は不可欠です。

重力は、アインシュタインの一般相対性理論(以下一般相対論)によって、空間や時間の伸び縮みとして記述されるそうです。

一般相対論の簡潔な帰結は「巨大な質量やエネルギーがあると、その周辺の空間と時間が曲がり歪(ゆが)む」と言うことになります。

そして、「宇宙の始まり」や「ブラックホールの中心点」のような究極の状態や状況を研究するには、4つの力全てを含む理論が必要になるそうです。

その4つの力全てを含む理論が、超弦理論になります。

点から弦へ

重力と残りの3つの力は、性質が異なるので、標準理論で同時にこれらの力を取り扱おうとすると、無限大の問題、つまり、理論の計算が無限大に発散してしまうと言う問題が出て来るそうです。

この無限大の問題を解決するには、素粒子を長さも幅もない「点」と考えるのではなく、拡がりを持つ「ひも」のような物、つまり「弦」と考えれば良いことが分かったそうです。

ちなみに、その「弦」の長さは、10-33cm程度であるそうです。ほぼ「点」です。

宇宙の最小単位を「点」ではなく「弦」に変えることで、4つの力を同時に取り扱うことができる理論が構築されることになるのですが、これはこれで、また厄介な課題が含まれているようです。

超弦理論が示す世界

超弦理論は、数学的には矛盾がなく、物理学の他の理論とも整合性が取れている(つじつまが合う)ようですが、任意性が非常に高いようなのです。

任意性が高いと言うのは、あらゆる可能性を含んでしまっていると言うことができるかもしれません。

例えて言うならば、私達が存在している宇宙だけではなく、私達(生命)が存在できない様な宇宙のことまで記述してしまっている様なのです。

つまり、超弦理論から導かれる予言には、あらゆる可能性が含まれているため、それらの予言を人間が適切に解釈できるのかと言う新たな問題が出て来るようです。

さらに、超弦理論には、既存の量子論や重力理論と同じ予言も含まれているためか、超弦理論ではないと導けない予言を実証するのが難しいようです。

また、超弦理論は、数学的に難解であるためか、現実の物理現象と乖離(かいり)している様に見える場合もあるようで、つまり、現実との対応関係がまだ確立されていないことも多いようで、超弦理論が示すものが実体のあるものなのか、つまり、物理的に意味のあるものなのか分からないことも多いようです。

私の拙(つたな)いイメージでは、超弦理論の予言や説明は、物理的な実体のあるものと言うよりは、数学上のものと言う感じが今のところ強いです。

ただ、超弦理論の予言に対する実験的な検証が進められていますので、将来的には、超弦理論の任意性も制御できるようになり、超弦理論は人類にとって強力な武器になるかもしれません。

「点」を「弦」に入れ替えただけで、人間が認識できる世界が広がり過ぎてしまったことには、意外性があると思います。

以下では、超弦理論が構築されて行くプロセスにおいて、人間の認識の構造と関わりがありそうなことを述べて行きます。

階層構造

実は、上述の無限大の問題は、重力と他の3つの力を同時に扱う際に初めて出て来た問題ではなく、量子力学(場の量子論)でも無限大の問題はあったそうです。

ただ、その無限大の問題は、その本によると、自然界の法則に「階層構造」があることを利用して回避されたそうです。

階層構造とは、

  1. 原子は、原子核と電子から成り(原子のレベル
  2. 原子核は、陽子と中性子から成り(原子核のレベル
  3. 陽子と中性子は、クォークから成る(クオークのレベル

と言う構造のことです。

そして、これらの階層には、階層ごとに最適な法則(近似理論)があります。

この階層構造を利用することで、ある階層で生じた無限大の問題を、よりミクロな階層へと先送りすることにより、その無限大の問題を回避できるそうです。

ちなみに、人間の体にも次の階層構造があります。

  1. 意識、呼吸、食事、運動などの心身のレベル                    
  2. 脳、心臓、肺、胃、肝臓、筋肉、目などの器官のレベル                
  3. 神経細胞、筋肉細胞、視細胞などの細胞のレベル                    
  4. DNA、RNA、タンパク質などの分子のレベル

この体の階層構造においては、階層の一部が高次段階に新しい性質を生み出し(=創発し)、高次段階が低次段階を支配するようになるようです。

話がそれましたが、場の量子論での「先送りの方法」(繰り込み)は、空間の歪(ゆが)みとして表現される重力には適用できないそうです。

ゆえに、「点」から「弦」に変える必要があったそうです。

なぜ「弦」なのかという疑問がありますが、「弦」を想定すると、4つの力の各性質や17種ある素粒子の各性質が「弦」で統一的に説明できる可能性が高いことが分かったからであるようです。

自然界には階層構造があると言うのは、興味深いです。

人間界の様々な階層構造も、自然界の階層構造に由来しているのでしょうか(転写?)。

階層構造を作る力と言うものは、存在しないので、階層構造的な物の見方は人間の認識の方にあるのでしょうか。

また、人間の認識の問題ではないとすれば、なぜ階層構造ができるのでしょうか。

矛盾が始まり

その本によると、既存の理論における矛盾を解消することで、物理学の理論は進化して来たそうです。

  • ニュートン力学とマクスウェルの電磁気学の間の矛盾を解消する事で特殊相対論
  • ニュートンの重力理論と特殊相対論の間の矛盾を解消する事で一般相対論
  • シュレディンガー方程式と特殊相対論の間の矛盾を解消する事でディラック方程式
  • 弱い力の理論の矛盾を解消する事でヒッグス粒子

生まれたようです。

矛盾が起きないと言う条件が、法則を発見する上での重要なヒントになるそうです。

なお、陰陽五行によると、矛盾は変化をもたらすそうです。

つまり、矛盾や対立から物語が始まるそうです。

確かに、生と死と言うのも矛盾であり、物語の始まりなのかもしれません。

絶対的な視点はない

その本によると、超弦理論を構築する過程で、ゲージ原理と言う「4つの力に共通する原理」が活躍したそうです。

ゲージ原理とは、ある物(波の位相)の測り方を変えても力の働き方が変わらない、と言う原理であるそうです。

実は、全ての力は、波のような性質でも伝わると考えれています。

難しいことはさておき、この原理は、物の測り方には、絶対的な基準がないことを表していると思います。

自然を記述する方程式には、絶対的な基準は含まれず、物を見る視点は自由に変えられると言う条件が付いていると言うことになります。

つまりは、物理学の方程式は、ある種の対称性を持っていると言うことになるそうです。

簡単に言えば、物理学の方程式を、ある座標上で、上にずらしても、下にずらしても、右にずらしても、左にずらしても、回転させても、測定(物理量)の基準をずらしても、方程式の形は変わらないと言うことになります。

これは、人間の生きる意味に絶対的な基準はなく、各人の物の見方に委(ゆだ)ねられているのと似ている気がします。

また、努力にも絶対的な基準はないのだと思います。これだけ努力したのだから、その分だけ成功できるべきと考えるのは、危険なのかもしれません。(努力は無意味という意味ではありませんのでご注意頂ければ幸いです。)

なお、理論の段階では対称性があっても、現実の現象ではそれが破(やぶ)れることがあるそうです。

理論の対称性が破れる原因には、系(対象)のエネルギーの安定化に伴う偶然性など色々な事が考えられるようですが、多体相互作用が関わっていることもあるようです。

人間の運命も人との相互作用次第でいくらでも変わると言うことでしょうか。

矛盾の解除

その本によると、超弦理論を構築する過程には幾(いく)つもの困難があったようですが、理論の矛盾は相殺されるべきであると言う考えを採用することで理論の整合性(つじつま)が取られたこともあったそうです。

日常生活においては、矛盾と矛盾が相殺することは、一見あまりないような気がします。

これは、人々を苦しめる鬼を宇宙人(侵略者)が退治するようなものかもしれません。

すると、例えが悪いかもしれませんが、人々の病気を治す医療も、矛盾と矛盾が相殺する現象なのかもしれません。

確かに、医療は無料では受けられません。お金(負担)がかかります。場合によっては、高額な費用が必要なこともあります。

なお、陰陽五行的には、矛盾とは、冲や合のこと(つまり剋の関係のこと)なのかもしれません。

公理系の無矛盾性と超弦理論

以前の記事で、次のことをご紹介しました。

数学の世界では、いくつかの公理(=根本原理)を仮定して、数学理論を構築して行く(つまり定理を導出して行く)ようですが、その数学理論つまり公理系の内部に、矛盾がないことは、その公理系内では証明できなようです。

ゆえに、ある公理系の無矛盾性を証明するには、その公理系の外に新たな公理系を構築して証明するしかないようです。

超弦理論には、公理系の無矛盾性を証明すると言うような役割があるのかもしれません。

ここでは、公理系は、標準理論(場の量子論)や一般相対論になると思います。

もしかすると、超弦理論は、「王様」であり、「将軍」ではないのかもしれません。

つまり、超弦理論は、物理学の理論を統治する管理者であり、実務をこなす将軍のような実用性はあまりないのかもしれません。

実用は、場の量子論や一般相対論に任せて、超弦理論はただそれらを生み出す(演繹する)公理的役割を持つものであると考えても面白いかもしれません。

しかし、科学は「王様」に力を求めてしまうようです。

物理学の「究極の理論」たる力を実験で示す必要があるようです。

象徴では駄目なのでしょう。

複雑が極まると簡単になる

その本によると、超弦理論には、「結合定数」と呼ばれる量が出て来るようです。

結合定数とは、弦同士がくっついたり、離れたりする確率の大きさを決める量であるそうです。

結合定数が小さいと、弦同士がバラバラになるので、超弦理論の計算が簡単になるそうです。

一方で、結合定数が大きいと、弦同士が絡(から)み合うので、超弦理論の計算が複雑になるそうです。

結合定数が大きければ大きいほど複雑化し、計算が困難になると思われた超弦理論が、その極限では計算が比較的簡単な理論になることが分かったそうです。

このことは、陰陽五行の陰陽の考え方に似ていると思いました。

陰陽五行の「陰」と「陽」は、基本的には対立した・相反した概念なのですが、

「陰」がその極致に達すると、「陰」の中に「陽」が生まれるそうです。逆に、

「陽」がその極致に達すると、「陽」の中に「陰」が生まれるそうです。

結合定数が大きくなるにつれて、超弦理論の計算は複雑になって行くのですが、結合定数が極限まで大きくなると、逆に計算が簡単になってしまうと言う結果は、陰陽の考え方を知っていると何となく興味深いです。

空間は頭の中にしか存在しないのか

その本によると、物理学に現れる空間は、実は根源的な(本質的な)概念ではなく、空間自身も弦の運動から現れて来る2次的なものに過ぎないそうです。

確かに、標準理論や一般相対論では、空間は3次元と言うことになっていますが、実は3次元に限定する必然性はないそうです。

人間の認識に合っているものが、3次元の空間と言うだけの事かもしれないと言うことのようです。

実は、標準理論や一般相対論でも、空間の次元は、自由に選択することができるそうです。

つまり、空間は、物理的な実体と言うよりも、人間の頭の中にある「外界を把握するための認識」なのかもしれません。

ただ、3次元空間は、人間の実生活にとって、実用性があると思います。

その本によると、数学的には、空間とは、点の集まりで、近い物と遠い物の区別が付くような集合であるそうです。

数学では、2つの点の間が近いか遠いかを区別することで空間を定義しているようです。

生物学的にも、何となく納得できる定義の仕方だと思います。敵や獲物までの距離が近いのか遠いのかは、生物にとって大切だと思います。

ただ、空間の次元を、人間にとって実用性のないレベルにまで引き上げると(9次元)、人間の認識空間が広がり、宇宙をより統一的に理解できるようになると言うのが、超弦理論の帰結なのかもしれません。

(ちなみに、芸術もこのような認識空間の広がりに関係するものなのかもしれません。)

視覚のない微生物や植物にとって、空間とは何なのでしょうか。

そう言う意味では、空間は「意識」と関係しているものなのかもしれません。

また、空間は、人間にとっての「意味」や「無意識」とも関係があるのかもしれません。

一見意味が分からない空間にこそ、宇宙の本質が隠されていると言うことかもしれません。

確かに、無意識の中に、その人の本質が隠されていることもあると思います。

おまけ:質量と組織

その本によると、質量とは、その物体の「動かしにくさ」や「止めにくさ」を表す値であるそうです。

より詳細には、空間中に満ちたヒッグス粒子が素粒子の動きや移動を妨げるのが、質量の起源であると考えれています。

重力は、ある程度の質量を持った物体に働きます。

素粒子には、重力はほぼ働きません。

素粒子が集まり、原子核、原子、分子、高分子、細胞、微生物、生物と進むにつれて、「素粒子の集まり」がある程度の質量になると、重力が有効に働くようになります。

何らかの引力で「もの」が集まるようになると、その集団には力が働くようになり、その集団は動きにくくなる、と言うことになります。

何か人間の組織的な活動にも似ている部分があるような気がします。当たり前のことなのですが、宇宙の奥深さ(類似性の転写)を感じます。

おまけのおまけ

自然を記述する方程式には、ある種の自由度=任意性=非絶対性があることを上でご紹介しました。

そこから、人間や人生にも、絶対的な基準(絶対的な物を測る尺度)はないのではないか、と言うことを思い付きました。

しかし、実は、人間は何か絶対的な物がないと、時に不安になるのではないか、と言うことに気が付きました。

人間は、時に、「絶対的な物」や「客観的な説明」を求めるような気がします。

科学もその絶対的な物の一つなのかもしれません。

学者達は、何百年・何千年にも渡り、自然の客観的な法則や説明を探究して来ました。

ところが、物理学の「究極の理論」である可能性がある超弦理論は、極めて「任意性」(=自由度)が高い理論であることが分かって来ました。

つまり、「絶対的な物」を求めて、探究し続けた結果、ついに人類は極めて「絶対的な物」ではない物に辿(たど)り着いてしまったのかもしれません。

恐るべき、陰陽五行の「陰陽」の関係と言う感じがします。繰り返しになりますが、

陰陽五行の「陰」と「陽」は、基本的には反対の概念なのですが、

「陰」がその極致に達すると、「陰」の中に「陽」が生まれるそうです。逆に、

「陽」がその極致に達すると、「陽」の中に「陰」が生まれるそうです。

何事も極め過ぎてはいけないのかもしれません。

もしかすると、「先送り」している時が、華(はな)なのかもしれません。

プロセス(経験)こそ全てなのかもしれません。プロセスの享受が全てなのかもしれません。

「そこに山があるから登る」「生まれたから生きる」「難問を解いたら次の疑問に挑戦する」で良いのかもしれません。

確かに、小説や物語で、結末だけが書いてあっても、面白くないのだと思います。結末に至るプロセスに意味・価値があるのだと思います。