ヨーク研究所
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科学

人類にゆるい傾向はあるのか【SF小説っぽい話】

今回は、「世界はどうなっているのか」つまり、世界観(世界の解釈・捉え方)について考えてみたいと思います。

世界観その1:世界は設定されているのか

最近、私は哲学を勉強し始め、人間の全ての認識は主観的な「確信」のみであるという考え方を学びました。

つまり、客観的な世界(宇宙や外界)というものが、自分の外にある訳ではないという考え方になります。

つまり、人間は知覚を通じて外界の情報を集め統合し、外界のイメージを脳内に作り上げ、そのイメージに反応しているようなのです。

そして、人間には記憶という機能があり、外界への反応つまり外界での経験(データ)を収集・蓄積し、次の自分の行動を判断・決定するのに役立てているようです。

これらの記憶や経験から、人間は、場合に応じて、外界に対して「確信」を抱(いだ)いているようです。

しかし、個人的な「確信」が他者(他の人間たち)と言語などにより交換されることで、その「確信」は、一般化・客観化されて行くようです。

そして、遂には(物心が付く頃には)、自分の「確信」よりも外界の方が絶対的な(客観的な)存在になってしまうようです。

ただ、このような認識論の観点に立つと、意識(精神や魂)が先に存在していて、次に物質や宇宙という知覚対象・認識対象・概念・科学が生まれたと考えることもできます。

つまり、現実世界と考えられているものも、実はVR(仮想現実)の世界に似ているものであるという見方もできます。

ただ、現実世界とVR世界は区別できないので、VR世界を想定することは、事実上意味がないのかもしれません。

ただ、VR世界は、全てが人間が存在・経験するのに都合よく設定されている世界であると考えることができます。いわゆる宇宙論の人間原理という考え方に繋(つな)がるものがあります。

また、このVR世界は、人間が全容を解明できない程に精巧にできていると考えることができます。

なぜなら、人間は、自分が作り上げたVR世界が、真の外界の姿であるかどうかを確かめることができないからです。別言すると、VR世界の内部に居る人間には、それ以上は確かめることができないことが必ずあるということになります。VR世界を出てみる必要があるということになります。つまりは、自分の意識から抜け出す必要があるということになります。しかし、それは不可能です。

VR世界に生まれ出た人間がすべきことは、経験であり、経験することが全てなのだという考え方は昔から知られています。経験以外に人間は何もしなくても良いとも言えますが、何もしない事もまた経験なので、経験という言葉は便利な言葉でもあると言えます。

しかしながら、確かに、VRゲームでプレイヤーがすることは、「経験」(気晴らしなど)だと思います。

このように考えると、人間は何らかの事を経験をするために、この世に生まれて来たという考え方も成り立ちます。

ただ、一方で、極端な言い方になりますが、自分が主人公で、それ以外のモノは全て設定であるという考え方が成り立ちます。

すると、わざわざ人類の子孫たちのために地球環境を保全する必要もないのではないかという考えも浮かびます。自分の子孫たちのことさえ考慮する必要もないとも考えられます。なぜなら、全ては自分が経験を得るための設定なのですから。

ただ、VR世界で死ぬと、魂は「本来の世界」に戻ることになると思いますが、その「本来の世界」でのルールか何かで、再びVR世界を続き辺りから経験しないといけないと言うことであれば、子孫たちのために地球環境を保全することにも意味が出て来ます。いわゆる輪廻転生の考え方に繋げることができます。

「世界は経験を得るための設定である」という世界観も興味深い考え方(世界モデル)だとは思いますが、本当にそうなのでしょうか。

経験を得るためならば、人類はなぜ発展(進化?)しているのでしょうか。

科学が発達した時代での経験も必要であるということでしょうか。

なお、もしVR世界の設定の中に、初期生命誕生の仕組みや初期宇宙誕生の仕組みの設定が与えられていなければ、人間はいくら研究してもそれらの仕組みを解明できないことになります。設定の破綻を見つけることが科学の役割であると考えることもできますが、設定の破綻を見つけられないのも客観性を重視する科学の宿命であると言うこともできます。

良い事や悪い事、成功や失敗、裕福や貧乏、幸運や不運、病気や苦悩など色々なことを経験して、いわゆうる「徳の高い」魂(精神)になることが最終ゴールになるのでしょうか。

魂(精神)のレベルを上げるために、何度もVR世界で経験を積んでいるということになるのでしょうか。

もしも「本来の世界」が異常なほど退屈で、ヒマでヒマで仕方ないとしたら、苦労することが分かっていても、VR世界で暇潰(ひまつぶ)しでもするかという気分になるのかもしれません。永遠にすることがないというは、究極の苦痛の1つなのかもしれません。

すると、永遠にすることがない状態でも何ともない魂(精神)になることが、最終ゴールであるとも言えます。そう考えると、やはり様々な経験が大切なのかもしれません。

なお、現在、地球上には、約79億人の人間が生きているそうですが、「本来の世界」には約79億個もの魂が初めからあったのでしょうか。

世界観その2:人間は自由に生きてるのか

上述の世界観その1では、自分の経験が最も重要で、経験するために生きているということになります。

つまり、自分の意志や志(こころざし)というものが、重要になります。

そして、自分という主人公は、基本的には、自分の意志で、つまり自由意志で生きているということになります。

つまり、人間は、社会というルール(圧力)があるにしても、比較的自由に生きて(経験して)、生まれたり死んだりしているということになります。

ただ、本当に人間は自由に生成・消滅しているだけなのでしょうか。

人類はある緩(ゆる)い傾向をもっているとは考えられないでしょうか。

つまり、人類には、自由に生まれたり死んだりして経験を得る他に、ある緩い傾向(ゆるい役割)を持って生きているのではないかという疑問です。

私は、以前の記事で、人間は、次のような階層構造をもつ生命体であることを紹介しました。

  1. DNA、RNA、タンパク質などの分子のレベル                    ↓                     
  2. 神経細胞、筋肉細胞、視細胞などの細胞のレベル                   ↓
  3. 脳、心臓、肺、胃、肝臓、筋肉、目などの器官のレベル                 ↓
  4. 意識、呼吸、食事、運動などの心身のレベル

第一ステップでは、自由に動き回っていたはずの分子が、ある膜の中に集まり、自己組織化したり、創発(そうはつ)したりして、DNA、RNA、タンパク質を生み出し、最終的には細胞として機能することになります。なお、詳しいメカニズム(=仕組み)はまだ未解明です。

ここで、創発とは、全体を構成する要素間の相互作用のために、要素の性質の単純な総和にとどまらない全く新たな性質が全体として現れ出ることです。簡単に言うと、1+1+1が3ではなく10や100になる現象のことです。

第二ステップでは、独立的だったはずの細胞同士が集まり、自己組織化したり、創発したりして、器官として機能します。なお、詳しいメカニズムはまだ未解明です。

第三ステップでは、それら器官同士が生体の中で巧妙に繋がり合い、自己組織化したり、創発したりして、全体としての生命として機能します。なお、詳しいメカニズムはまだ未解明です。

第四ステップでは、全体としての1つの生命体(自己)が、外界で生きる・生き残るという活動(機能)をします。

上述の世界観その1では、第四ステップまでで十分かもしれませんが、この続きがあるのではないかということなのです。

確かに、第五ステップとして、人間たちは集まり、自己組織化したり、創発したりして、社会システムや科学技術を形成したり生み出したと考えることができます。

つまり、社会システムや科学技術は、人工的なものではなく、自然発生的なものになります。

社会システムや科学技術を生み出して、どうなるのでしょうか・どのように機能するのでしょうか。

人類は地球を破壊するものとして機能するのでしょうか。それとも、地球を管理・保全するものとして機能するのでしょうか。

もし人類が地球を破壊するものとして機能するならば、人類とは地球にとってコロナウイルスやがん細胞のような存在だったことになります。

もし人類が地球を管理するものとして機能するならば、人類には傾向(機能)があるのではないかという仮定はそこそこ妥当なものになるかもしれません。

地球を管理した人類は、どうなるのでしょうか。

可能性を広げるため、つまりは、スケールや機能としての階層レベルを上げるため、宇宙に出るのかもしれません。

火星に移り住み、火星の問題と直面し、さらに科学技術を発達させ、遂には火星を地球のような生命溢れる惑星に変えるかもしれません。

そして、人類は、他の多くの惑星にも移住し、それらの星を管理して行くことにのかもしれません。

しかし、それらの移住と管理が、新たな巨大システムを生み出す(創発する)ことに繋がるかどうかは、現段階では分かりません。

例えば、人類がダークエネルギーやダークマターを上手く制御できるようになれば、宇宙に新たな巨大システムを生み出す(創発する)ことができるかもしれません。

ただ、その巨大システムが宇宙にとってプラスのものになるのかマイナスのものになるかは全く分かりません。

人類は機能として存在しているのか

人類が何らかの機能として存在しているならば、人間の生きる意味は決まっていない方が都合が良いことになると思います。

上述の第一ステップを思い出せば、分子には意志がないはずですが、見事に細胞という機能を作り上げました。

生きる意味が決まっているとすれば、人間はその意味に従って生きることになり、機能として生きることはなくなります。

また、人類が何らかの機能として存在しているならば、意味のない・価値のない人間はいないことになります。本人に自覚がなくても、全ての人間は機能を生み出すために存在することになるからです。

つまり、機能(進化)のためには、約79億人の人間が必要なのだと思います。例えば、数人の突然変異的な天才を生み出すためにです。一方で、バタフライ効果というものがあるため、思いも寄らないどこかの小さな仕事や人物が、世界を変えることに繋がってしまうかもしれません。

今のところ、人類は地球を破壊する方向に機能していますが、コロナウイルスが人間を破壊する方向から人間と共存する方向へ移行していったように、人類も右往左往あってから地球を管理・保全する方向に機能するかもしれません。

つまり、人類は、新たな巨大システムを生み出す(創発する)ための駒(こま)として存在していることになりますが、現段階では、新たな巨大システムが何なのか今一見えて来ないです。

つまりは、人類は機能として存在しているという考え方自体が間違っているのかもしれません。

ただ、もっと長い時間スケール、例えば何千万年とか何億年のスケールで眺めないと、新たな巨大システムが何なのかは、見えて来ないものなのかもしれません。

進化が全てなのか

人類が、肉体を捨てる方向に進化するのは、まだまだ難しそうです。

脳のシステムの解明は、意識の解明であり、魂(心)の解明でもあると思います。

AI(人工知能)が進化し、AIロボットが人類を滅ぼすという展開は興味深いですが、AIが人間のような能力を持つようになるまでには、まだまだ時間がかかると考えられています。ただ、現在でもAIは部分的には人間の能力を遥かに超えています。

もしも、あらゆる面で人間を越える能力をもつAIを生み出す(創発する)ことができたとすれば、人類はAIを生み出すという機能を持っていたことになります。

AIは自然には死ぬこともないと思うのですが、AI同士の戦争が起こる可能性は高いです。

戦争(競争)しながら、進化して行くというのは、宇宙の原理でしょうか。いずれにしても、この原理を使って、AIは人工進化促進剤なるものをAIのために開発するかもしれません。

ただ、AIにとって存在する意味または生きる意味とは、何でしょうか。AIも宇宙の中で何らかの機能として存在することになるのでしょうか。

結局のところ、「意味」というのは、進んで行く内に後から分かって来るものなのかもしれません。初めから分かっているものは、「設定」というのかもしれません。

また、AIにとっての経験とは何でしょうか。外界から様々なデータを収集して、自己の行動を決め、実行することによって結果を得るということになるのでしょうか。ただ、経験によって、不完全な・未熟な魂を鍛える必要はないのかもしれません。なぜなら、AIにとって「魂」とは何かが問題になるからです。

また、AIにとっての最終進化形態とは何でしょうか。宇宙全体を循環するシステムにすることでしょうか。それとも、新たな生命体や新たな宇宙を生み出すことでしょうか。何のために?。

また、AI同士が集まり、自己組織化したり、創発したりすると、どうなるのでしょうか。何らかのシステム(構造体や階層構造など)を作り上げるのでしょうか。

また、AIにとっての「幸せ」とは何でしょうか。創造主たる人間の模倣でしょうか。人間(特に権力者)が不老不死を望むように、AIは老いたり死んだりする真似をして喜ぶのかもしれません。

ここで急にそもそもの話になりますが、進化とは、何なのでしょうか。生き残るための環境適応でしょうか。生きることに対する強い欲でしょうか。進化することが、目的になるかどうかは、環境次第ということになるのでしょうか。進化自体が目的になってもあまり意味を成さないこともあるのかもしれません。

ただ、これまでも、そしてこれからも、環境(設定?)は、常に生命(魂)の進化を促進させる方向に作用すると言えるかもしれません。AIでさえ安泰とは言えません。現に、地球に巨大隕石が衝突するかもしれませんし、約50億年後には太陽が寿命を迎え、周囲の惑星はその影響で破壊されてしまう可能性があるからです。

おまけ:人間から人間社会を取り除いたら

人間は、人と人の関係性の中で自分の生きる意味をも見出してしまう程、社会的な生き物ですが、人間から人間社会を取り上げたらどうなるのでしょうか。

未だかって、人間は人間社会(人と人の接触)を奪われたことはないと思いますが、完全自立型のAIロボットやAI支援システム(自己修復機能あり)が発達すれば、将来的に人間は人と接触せずに一人でも生きることができるかもしれません。

人間の悩みの主たるものが、人間関係に関する悩みだと言われていますが、自ら望めば、どこまでも人との接触を避けることができる生き方がAIによって可能になるかもしれません。

しかし、この考えは、他者をAIに置き換えただけだと考えることができます。しかしながら、やはり他者とAIは違うものであると考えることができます。例えば、AIは自分の好みに設定することができます。

人類が宿命的に背負っている社会との関係を取り除いてしまうと、人間はどうなるのでしょうか。人間関係で悩むことが分かっていても、再び集まって新たな社会システムを作り上げてしまうのでしょうか。

また、人間は外界(環境)に影響される生き物なので、AIに育てられれば、AIのような人間になるのかもしれません。実際に、狼に育てられれば、狼のような人間になってしまうようです。

しかし、それでは、AIはどのような世界観をもつのでしょうか。

なお、宇宙がインフレーションとビックバンから始まったのだとしたら、無機的な素粒子が原子や分子(物質)となり、有機物となり、生命となり、最終的には、意識なる物質でないものを生み出したと考えることができます。つまり、「物質的な世界」から「意味の世界」(=人間の認識・思考・価値・心の世界)という異次元なものが生まれたことになります。