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科学

量子もつれ:量子力学の解釈問題について考える

今回は、「量子もつれ」の不思議や解釈問題について紹介してみたいと思います。

「量子もつれ」とは

「量子もつれ」は、量子力学、つまり、電子や原子核のような目には見えない非常に小さな粒子の世界における理(ことわり)を取り扱う学問の中で出て来る言葉です。

簡単に言うと、「量子もつれ」とは、ミクロの世界において

「2つ以上の系(粒子)の状態が、互いに関連付けられた状態にあること」つまり

「2つ以上の系(粒子)の状態が、どんなに離れていても繋(つな)がった状態にあること」

を表す言葉です。

なお、「量子もつれ」は、英語では、quantum entanglement (クアンタム エンタングルメント)と言います。

現在、「量子もつれ」や量子力学の原理を利用して、量子コンピュータなどの量子情報技術の開発・研究が世界中で盛んに進められています。

量子もつれ状態にある2つの系の例

それでは、具体的に量子もつれ状態にある2つの系の例を説明して行きたいと思います。

ミクロの世界で、電子は、スピンと呼ばれる性質を持っていることが知られています。

人間の性別に男と女があるように、電子のスピンにも、上向きスピン(↑)と下向きスピン(↓)があります。

例えば、水素原子(H)は、電子1つと原子核1つから成る系(原子)です。

水素分子(H2)は、2つのHから成り(H-H)、H2の中には、電子が2つ含まれています。

そして、その2つの電子はペアになっており、一方の電子は、上向きスピン↑であり、もう一方の電子は下向きスピン↓であることが知られています。

人間で例えるならば、水素分子という「家」に、男(↑)と女(↓)のペアが住んでいる感じです。

なお、ミクロの世界(=量子の世界)では、「男(↑)と男(↑)のペア」や「女(↓)と女(↓)のペア」が現れることはないことになっています。ただ、酸素分子O2の「家」のように男(↑)と男(↑)がペアではなく独立して同じ「家」に住んでいることはあります。

ここで、水素分子Hに特殊な強い光を当てることで、Hから電子を1つだけ飛び出させて、電子(e)と水素分子イオン(H)を生成させます。

この際に、もし上向きスピン(↑)の電子が飛び出て来たならば、水素分子イオンHには下向きスピン(↓)の電子が残ります。

また、もし下向きスピン(↓)の電子が飛び出て来たならば、水素分子イオンHには上向きスピン(↑)の電子が残ります。

つまり、「飛び出て来た電子のスピン」と「水素分子イオン中の電子のスピン」は、空間的に分離されましたが、まだ互いに関連付けられていて、一方が「上向き↑」だと分かると他方は必ず「下向き↓」になる関係にあります。

これが、量子もつれ状態にある2つのスピンの例になります。

つまり、「飛び出た電子スピン」と「分子中に残った電子スピン」は、空間的には離れてしまいましたが、互いに繋がっていて(ペアになっていて)、一方の状態が分かると他方の状態が決まってしまう関係・状態になっています。

なお、「飛び出て来た電子のスピン」と「水素分子イオン中の電子のスピン」は、現実的には、非常に不安定なので、現実的には、もっと安定的に存在し続けられるスピン系同士の「量子もつれ」状態が、実際の実験や研究では取り扱われます。

何が問題で何が不思議なのか

常に全ての可能性をもつ

上述の「量子もつれ」の話には、何ら問題・疑問・不思議はないように思えますが、実は、世界の物理学者たちを悩ました問題が含まれています。

何が問題なのかと言うと、「飛び出て来た電子のスピン」は、人間が観測・測定するまでは、「上向き↑」でも「下向き↓」でもあるということなのです。

言い換えれば、人間が測定・観測しないと、「飛び出て来た電子のスピン」は↑か↓か決まらないということなのです。

さらに言い換えれば、人間が観測しないならば、「飛び出て来た電子」は、常に↑と↓のどちらのスピンをも取る可能性を秘めながら空間・空中に漂うことになります。

ただ、現実的には、飛び出した電子はそのままでは不安定なので、いつもでも安定して空間・空中に存在している訳ではないと思いますが。

古典力学的な世界観では、人間が観測しようがしまいが、「飛び出て来た電子のスピン」は↑か↓かのどちらかに決まっていると考えると思います。

実際に、相対性理論を考え出したアインシュタインも、古典力学的な世界観を支持し、確率解釈を主張する物理学者たちと激しい議論を繰り広げました。

例えば、お腹の中の赤ちゃんが、女なのか男なのかは、妊娠後のどこかの時点で決まってしまうことで、病院で調べてみるまでは、または、お腹から生まれ出るまでは、赤ちゃんが女でもあり男でもあるということはないと思います。

しかしながら、「ベルの不等式という数学的な判定法」と「その判定法を使った物理学者たちの実験結果」によると、人間が観測するまでは「飛び出て来た電子のスピン」は↑と↓のどちらの可能性もあるという結論に至ったようです。

なお、このような量子の世界の不思議な結論を実験によって精密・厳密に確かめた物理学者たちには、2022年にノーベル賞が贈られています。

なお、上述の「電子と水素分子イオンのスピン系」は、現実的には非常に不安定な系なので、この系で実験や研究が行われることはないと思います。実際には「より安定して存在し続けられるスピン系」で実験や研究が行われていますのでご注意頂ければ幸いです。

なぜ人間が観測しないと系のスピンの状態が決まらないのか、非常に不思議です。

言い換えれば、

なぜ人間が観測すると系のスピンの状態が決まってしまうのか、非常に不思議です。

状態を知るために観測しているので、これは当たり前のことですが、人間が観測しても状態が決まらない量子現象があっても良いような気もします。

不思議な関係性

また、もう片方の「水素分子イオン中の電子のスピン」も、人間が観測するまでは、↑か↓か確定しないのです。

ここで、さらに不思議なことが起こってしまいます。

人間が観測するまでは「飛び出て来た電子のスピン」と「水素分子イオン中の電子のスピン」はどちらも↑か↓か確定していないのですが、人間の観測により例えば「水素分子イオン中の電子のスピン」が↓と確定すれば、「飛び出て来た電子のスピン」が「水素分子イオン中の電子のスピン」からどんなに離れていようとも「飛び出て来た電子のスピン」は必ず↑になるのです。

つまり、「飛び出て来た電子のスピン」と「水素分子イオン中の電子のスピン」がどんなに離れていようとも、これらは量子もつれの関係にあり、一方のスピンが観測で確定すると、他方のスピンの向きは一瞬で確定してしまうのです。

なお、もし人間が観測する前から「飛び出て来た電子のスピン」と「水素分子イオン中の電子のスピン」が「↑と↓」か「↓と↑」のどちらかに確定しているのであれば、何ら不思議はないことになります。

また、量子もつれの関係・状態にあると、一方のスピンの向きが確定すると、他方のスピンの向きは一瞬で確定するのですが、これは一方のスピンから他方のスピンに「向きの情報」が光速を越えて一瞬で伝わった訳ではないと考えられているようです。

つまり、量子もつれの関係は、時間や空間を超えて繋がっている・関係している現象・性質であると解釈されるそうです。何となく都合の良い「つじつま合わせ的な解釈」です。

量子の状態を破壊する人間の観測とは

人間の観測という行為は、「飛び出て来た電子のスピン」の状態を確定させます。

人間が観測しなければ、「飛び出て来た電子のスピン」は↑と↓のどちらの状態も取れる可能性を秘めながら存在します。

つまり、人間の観測は、スピンのどちらでも取れるという状態(=重ね合わせの状態)を破壊するとも言えます。

ただ、人間が地球に誕生する以前も、地球には生命が存在していて、分子同士の間では様々な化学反応が起こっていたと思います。

ゆえに、人間の観測によって、宇宙の流れ・営みが、著しく変わることはないと思います。

つまり、「飛び出て来た電子のスピン」が↑だろうが↓だろうが、宇宙の営みには、何ら影響しないということだと思います。

つまり、「飛び出て来た電子のスピン」が「↑」か「↓」かそれとも「↑と↓の重ね合わせ」かという問題は、「人間の認識上の問題」つまり「人間の頭の中だけの問題」または「量子現象の解釈・理解・イメージにおける問題」なのかもしれません。

一方で、もし「飛び出て来た電子のスピン」が↑ならば、「水素分子イオン中の電子のスピン」は必ず↓になるという関係性は、宇宙の営みにとってより実質的なのだと思います。

量子力学の結論や解釈は本当に正しいのか

上述の結論、つまり「人間が観測するまでは量子系の状態は確定しない」という結論・解釈は、哲学的には、とても興味深い結論だと思います。

哲学では、客観的な(絶対的な)世界が先に存在していて、次に主観的な人間の意識・認識・内面が生まれると考えるのではなく、人間が知覚した「もの」を脳内で主観的に認識し、物事が外界に存在すると人間は「確信」していると考えるようです。

ゆえに、人間が観測するまでは(意識するまでは)外界の状態が確定しないという上述の結論は、哲学的な考え方と相性が良いように思えます。

つまり、哲学的には、上述の結論も、人間の認識の問題として上手く解けるのかもしれません。

そもそも、外界の全ての物事は不確定な(確率的な)状態で存在していて、人間(脳)が意識すると(観測・着目すると)、その存在が意味をもつ(確定する)のかもしれません

量子力学の世界は、古典力学の世界とは異なり、日常の経験的な直感や推論で量子(電子など)の運動を予想することは難しく、人間は、数学によって、知覚では把握できない「量子の世界」の理や法則を解明・理解しようとします。

したがって、量子力学を支える数学が変われば、量子力学の解釈・理解も変わるかもしれません。

数学は、人間の認知機能と密接に関係していると考える認知科学者もいます。

ゆえに、人間の認識・捉え方・仮定・大前提・視点・判断枠組み・世界観・経験が変われば、量子力学の解釈も変わるかもしれません。

上述の結論が正しくないとすれば、どこに問題があると考えるのが妥当でしょうか。

もしも「ベルの不等式という論理的な判定法」が間違っていたとすれば、この結論・解釈は正しくないことになります。

余談:全ては繋がるのか?(宇宙-生命-脳-意識-哲学-数学-物理学)

「量子の世界」の研究は、「人間が生かされている舞台」の裏側を垣間見ることを可能にしてくれるものかもしれません。

実際に「量子もつれ」が重力現象の基礎となる時空を生成するという研究があるようです。

このような研究は、もしかすると、人間の脳の中で行われている情報処理のメカニズム、つまり知覚情報を統合し外界をイメージ化して外界に反応するメカニズムの解明にも繋がるかもしれません。

また、「量子の世界」の「ほころび」(破綻)が、「人間の認識能力」の限界や「人間が生かされている宇宙」の裏側を解明するための突破口になることもあるかもしれません。

確率過程論に基づく量子論

一般に、初歩的な量子力学で使われる数学は、「解析学(微分積分学・偏微分方程式)」,「線形代数」,「確率・統計」です。

次の本では、確率過程論に基づく量子論が紹介・説明されています:

長澤正雄(著)『シュレーディンガーのジレンマと夢』(森北出版, 2003).

この本によると、確率過程論に基づき、量子力学の基本方程式であるシュレディンガー方程式を再構築および再解釈すると、現在の量子力学の解釈を見直すことができるようです。

例えば、その確率過程論による量子論によると、電子は、波の性質と粒子の性質の両方をもっている訳ではないそうです。

電子は粒子なのですが、その運動は滑(なめ)らかな運動(古典力学が大前提としている運動)ではなく、空間上のあらゆる点で時間で微分できないジグザグな運動をしていると解釈・仮定できるそうです。

さらに、その確率過程論による量子論によると、ベルの不等式は正しくないそうです。

さらに、位置も運動量も同時に確率的に決めることができるので、ハイゼンベルクの不確定性原理は不要になるそうです。

さらに、電子に波の性質を仮定しなくても、二重スリット実験の「干渉縞」を数学的に説明できるそうです。

その本で説明される理論や考え方は、とても説得力があり、解釈問題に関しても従来の量子力学より論理的に納得できます。さらに、全体的な一貫性や統一性もあります。

ゆえに、現在の量子力学の解釈は、間違っているかもしれないと思わせるものがあります。

ただ、確率過程論による量子論は、1つの電子の運動の記述や解析には、大変優れた理論だと考えられますが、2つ以上の電子から成る多電子系の記述や解析には、適用できないそうです。

多電子系とは、2つ以上の電子を含む系、つまり、原子、分子、固体などのことになります。

その理論を多電子の運動に拡張するには、まず「場の理論」を再構築しないといけないようです。

逆に言えば、多電子系の計算は、従来の量子力学の方法が今のところ適しているようです。

ただ、多電子系の計算における「電子雲」ような概念を1つの電子の運動に関する現象の解釈・解析に使ってはいけないそうです。

確率過程論による量子論は多電子系には適用できませんが、その考え方や解釈を拡張・発展させて「新たな量子論」を構築すれば、現在、世界中で盛んに進められている量子情報技術の研究開発をリードできるかもしれません。

ちなみに、電子のジグザグ運動の軌跡は、雷の形に少しだけ似ています。