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科学

「事実の世界」と「意味の世界」を統合する哲学

今回は、哲学の本を読んで、哲学的な概念(意味や目的など)の進化生物学的な起源について考えてみたいと思います。

「事実の世界」と「意味の世界」

戸田山 和久(著)『哲学入門 (ちくま新書)(筑摩書房, 2014)には、「事実の世界」と「意味の世界」を統合する哲学が書かれています。

本記事は、この本を参考にしています。

以前の記事(哲学と科学)では、

  • 科学が探求するのは「事実の世界」(物理的物質の世界、生物学・化学・物理学)で
  • 哲学が探究するのは「意味の世界」(概念・認識・本質・構造・思想の世界)で

あることをご紹介しました。

しかしながら、上述の本では、そもそも「意味の世界」が「事実の世界」からどのようにして発生して来たのかを探究課題とし、そのシナリオ(筋書)を描くことを目指します。

つまりは、「事実の世界」と「意味の世界」を統一する哲学(見方)を構築することを試みます。

また、その本によると、哲学は概念作りを生業とするそうです。

哲学者の勤めは、できるだけ良い概念を生み出すことであるそうです。

また、哲学は、「哲学的理論」を我々の直観によって検証している訳ではないそうです。

「哲学的理論」は、例えば次のような基準で検証されるそうです。

  • どっちがより包括的で沢山のことを説明できるか
  • どちらが他の理論と整合的か(つじつまが合っているか)
  • どっちがより唯物論的か(自然科学的か)
  • どっちの帰結がより実り豊かか

数学や物理学の理論もこのような基準で検証されることがあるような気がします。

ただ、物理学の場合は、実験データや観測結果と一致することが重要な基準になります。

また、哲学では、注目する概念が必要十分に定義されているかを検討する際に、思考実験が行われるそうです。

具体的には、その定義の不十分性を突くような反例を作るために、現実離れした状況を設定し、その状況の下に、提案されている知識の定義が当てはまるけれども、とても知識とは呼びたくない様な事例を作るそうです。

そうすることで、提案されていた定義はどこかおかしい、と言うことがはっきりして来るそうです。

このような検討法は、計算プログラムのデバッグ(バグを取り除く作業)でも使われているような気がします。数学でも非論理的に思考することがあるようです。

2つの世界を統一するシナリオ

その本のテーマは、物理的世界の中で、「存在もどき」(=哲学的な概念=意味、価値、目的、機能、自由など)が「そうでない物」(実物)から現れて来るプロセスを明らかにすることです。

人生に大切な「存在もどき」達が、「そうでない物」(原機能、原目的、原意味、原価値、原自由)から徐々に湧(わ)いて出た過程を再構成することによって、一枚の絵(物理的世界)に「存在もどき」を描き込むことをその本では目指します。

そして、目指すべきシナリオの非常に大まかな流れは、次のような感じになるそうです。

化学反応のスープの中から、生き物と呼べるような物がこの世に生じて来る。

そうなると、例えば、機能とか目的の原型のような物がこの世に生じる。

この目的なるものは、最初は(生命)システムに作り付けになっている。

つまり、システムは現実できる目的しか持たないし、その目的をいつでも直ちに実現しようとしてしまう。

ところが、その内、目的は(システムから)やや独立して来る。

つまり、果たされない目的を取り敢えず持っておくことができるようになる。

このことが欲求の始まりになる。

そして、この果たされない目的はさらに進化して、しまいには倒錯して「人生の目的」なるものに至る。

目的の発生にせよ、自由の発生、価値の発生にせよ、途中からは生き物のもつ表象能力(イメージする能力)が格段に高まったことが大きな動因(駆動力?)となっているそうです。

表象とは、簡単に言うと、頭の中でのイメージのことだと思います。

我々は、頭の中に外のモノを表し、それを代理する何かを持っているように思われるそうです。

果たされない目的を抱いたりすることができるのは、こうした表象(イメージ)のためであると推測されるそうです。

「存在もどき」の発生シナリオのコアには、表象能力(イメージする能力)の進化があるそうです。

その本によると、頭の中にハエを表し実物のハエの代わりをする「何か」があって、その「何か」に対して色々な処理を加えることで、最終的に行動が生み出されるそうです。

確かに、数学の基本は代数学で、「置き換え」には具体的な物を抽象化し、新たな情報を生み出すと言う意味があるそうです(以前の記事より)。

また、表象とは、頭の中に何らかの仕方で実現されていて、それに対して処理を施すことによって認知が進んで行くところの何かのことであるそうです。

そして、認知とは、統語論的構造(文に似た構造)をもつ表象に対する計算である、とも言えるそうです。

ここで、計算とは、

  • 表象の部分同士を入れ替えたり、
  • 表象の一部を他の表象に置き換えたり、削除したり、
  • 2つの表象をくっ付けたり、複製したり、

という操作を指すそうです。

意味とは

ここからが本題になりますが、その本によると、「意味する」という関係を因果関係だけに訴えて説明するには、「本来の機能」という概念がキーポイントになるそうです。

そして、「本来の機能」の起源論的定義は、次のようになるそうです。

「SがもつアイテムAがBという本来の機能をもつ」

⇔SにAが存在しているのは、Sの先祖においてAがBという効果を果たしたことが、生存上の有利さを先祖達にもたらして来たことの結果である。

例)「私の心臓が血液循環という本来の機能をもつ」

⇔私に心臓が存在しているのは、私の先祖において心臓が血液循環という効果を果たしたことが、生存上の有利さを先祖達にもたらして来たことの結果である。

次に、「本来の機能」の因果的説明を「意味」の因果的説明に当てはめることを考えるそうです。

「トム(猫)の表象Xがネズミを意味する」

⇔トムに表象Xが存在しているのは、トムの祖先においてXが「ネズミ捕食行動やネズミ狩りの練習行動を引き起こす」という効果を果たしたことが、トムの先祖に生存上の有利さをもたらして来たことの結果である。

この当てはめによって、「本来の機能」が因果関係によって説明できれば、「意味」も因果関係によって説明できることになるそうです。

そして、その本では、「本来の機能」を因果関係によって説明するために、論理的にややこしい議論を展開することになります。

なお、「本来の機能」の本質には、「今そこにない物」という観点も含まれているそうです。

そして、その本によると、上述の「本来の機能」の定義は、「生物学的な多くの実例を通した検証」や「論理的な必要十分性の議論」から妥当であると見なされ得るようです。

よって、原始的な「意味」という概念は、発生的に(進化的に)説明でき得ると言うことになるようです。

ただ、あくまで原始的な「意味」の概念であり、現在の人間が哲学で使っている様な「意味」の概念とはまだ差があるようです。

なお、竹田青嗣(著)『新・哲学入門』によると、

意味」とは、欲望や関心に応じて生成される「対象に対する脳内での総合的な繋(つな)がりによる了解」のことを指すようです。

なお、「本来の機能」の概念とそれに対する起源論的説明は、生物の器官、行動、道具、礼儀、制度と言った雑多な機能現象に対して統合的な説明を与え、さらには、それを目的とか意味といった概念と結び付けてくれるそうです。

つまり、雑多な現象が統一的に(体系的に)説明されるようになるそうです。

抽象的・統一的に理解する枠組みを作ることや、体系的な説明というのは、それだけで価値があり、科学らしさの一要素でもあるそうです。

情報とは

その本によると、物理的世界は因果(原因と結果)の網の目であると同時に、情報の流れとしても捉えることができるそうです。

この情報の流れが、表象や意味の素(もと)になるそうです。

情報の流れとしての世界の中に、「本物の表象」がどのようにして現れることができたのかが、ここでのテーマであるそうです。

情報の捉え方には、いくつかの捉え方があるそうです。

例えば、情報とは、「知識をもたらすもの」という捉え方があるそうです。

お知らせ系のお役立ち情報がこれに該当します。

一方で、情報とは、「確率に関係するもの」という捉え方もあるそうです。

これは、稀(まれ)なニュースほど情報量豊か、という直観に根差した捉え方になるそうです。

そして、情報は、可能な記号の集まりからの選択によって生じるそうです。

つまり、可能性を狭めると、情報が生まれるそうです。

例えば、未来の出来事としてA、B、C、Dという4つの可能性があり、その内で、Dが実際に起きたとすると、または何らかの知見によりDの可能性が高まると、情報が生まれることになるのだと思います。

その本によると、結局のところ、何か出来事が生じれば情報が生まれると考えて良いことになるそうです。

出来事が生じて可能性が狭まれば、情報が生まれるそうです。

例えば、サイコロが振られると情報が生じる、隕石が落ちれば情報が生じる、雨が降ると情報が生じる、・・・と言うことのようです。

不確定な物事がほぼ確定すると、情報が生じると言うことでしょうか。

繰り返しになりますが、この世界は情報の流れとして捉えることができるそうです。

何かが起こると情報が生まれ、情報が出来事から出来事へ流れて行くそうです。

また、情報が流れるには解読者は必ずしも必要ないそうです。

情報は客観的存在者であり、その産出、伝達、受信に意識をもったエージェント(人間やロボットなど)による解読を必要としないそうです。

また、一つの信号は一度にいくつもの情報を伝えることができるそうです。

むしろ、信号は一度に無数の情報を伝えるのが普通であるそうです。

例えば、自宅の照明が灯っていると言う信号を自宅の外からキャッチしたとします。

すると、もしかしたら、妻が帰宅していることも、妻の仕事が早く終わったことも、・・・一度に伝えているかもしれないそうです。

また、単純化して言えば、知識は情報によって生み出された信念(確信・確実性・確定性)である、と言うことになるそうです。

また、情報は出来事に乗っかって世界の中を流れて行くそうです。

例えば、南の海に台風が来ているという情報は、海岸に打ち寄せる波が荒くなるという出来事に流れ込み、さらに普段は波の上で休んでいるカモメが内陸を飛ぶようになるという出来事に流れ込むそうです。

さらにその情報は、そのカモメの振る舞いを見た漁師の心的表象に流れ込み、台風が来ているという信念が形成されるそうです。

これが「知る」と言うことになるそうです。

知識は、信念という形で切り取られた情報の流れの一断面であるとも言えるそうです。

なお、辞書によると、信念とは、ある事柄について揺らぐことのない考え、確信を持つことであるそうです。

一方で、出来事が完全に無関係にランダムに起こる世界ではある事柄が起きたのを知ったからと言って、他に何が起きたのかを知ることができないそうです。

つまり、情報が流れないそうです。

情報の流れがあるためには、出来事同士が「あれが起きているならこれも起きている」と言う仕方で互いに結び付いている必要があるそうです。

ただ、そのような結び付きが生じるために、2つの出来事が直接的に因果関係で繋(つな)がる必要はないそうです。

我々の住む世界では、出来事が因果の鎖で結ばれていて、その結果として様々な「あれが起きているならこれも起きている」関係で出来事同士が結ばれているそうです。

つまり、因果が情報の流れを支えているそうです。

この世界は「原因の情報」が伝播する世界であると言うことでしょうか:

◇→●→〇→■→△→▼→■→◎:原因が結果を生み、その結果が新たな原因になる。

まとめると、我々の世界は、因果と言いたくなるような仕方で出来事同士が結び付いた世界であるそうです。

その限りにおいて、我々の世界は、情報の流れる世界としても見ることができるそうです。

志向性とは

私達の心は、実物がそこにないのに、その物について考えることができるそうです。

つまり、私達の表象(=脳内イメージ)は、「今そこにない物」についてのものであり得て、そしてそれゆえ、間違いがあり得るそうです。

なお、上述の「意味する」は生き物に特有の現象になるそうです。

この世で起こる出来事は、生き物に関わるものであれそうでないものであれ、全て他の出来事の情報を担っているそうです。

情報の流れとして捉えた自然界は、ありとあらゆる出来事が他の出来事の情報を伝え合っていると見ることができるそうです。

例えば、「黒い雲」は、降雨の自然的記号(サイン・兆し・印)だと見ることができるそうです。

その本では、自然的記号が担う情報を「自然的情報」と言うことにします。

なお、自然的記号一般は、特定の機能(目的)のためにある訳ではないそうです。

私達の表象(=脳内イメージ)は、

  • 「今そこにない物」についてのものであり得て、
  • しかも、間違えることができる、

と言うことが本質的な特徴であるそうです。

そして、この特徴を志向性と言うそうです。

なお、辞書によると、志向とは、意識(や心)がある対象に向かうことです。

つまり、辞書的には、志向とは、興味・関心の大元みたいなものでしょうか。

志向性は、「○○について性」と「間違い可能性」によって特徴づけられるそうです。

生き物はどうにかして環境中の自然的情報を利用して志向的記号(表象)を生み出しているそうです。

志向的記号は、生き物が生存に利用するために生み出された記号(表象)であるそうです。

志向的記号とは「生き物が興味関心を示す記号のこと」と言うことでしょうか。

志向的記号=興味関心の記号?

2つの出来事の間に何らかの繋(つな)がりがあって、一方が他方に依存しているとします。

このため、既に知られている事柄から出発してその繋がりを辿ることができ、それゆえ一方を知ることによって他方を知ることができます。

この時、情報が流れるそうです。

ここで言う「繋がり」は、単なる偶然の一致よりは強くて、普遍法則性よりは緩やかなものであるそうです。

この「繋がり」の緩やかさは、志向的記号を定義する際に重要になるようです。

難しい言い方になりますが、志向的記号とは、局地的反復自然記号を生み出すことを目的とするメカニズムによって生み出される記号のことであるそうです。

反復自然記号とは、同じ自然的情報を担って繰り返し生じる記号のことだそうです。

局地的とは、繰り返し出現するのは限られた領域で良いという意味であるそうです。

ただ、志向的記号が成立するためには、記号の生産者と消費者の両方が協調することが必要であるそうです。

例えば、キツネの足跡(=志向的記号)を見たら「キツネがいる」という信念(確信)を生み出すのが生産者、その信念(確信)に基づいて、足跡とは逆方向に走って逃げるという行動を生み出すのが消費者であるそうです。これは一匹のウサギの中での話であるそうです。

一方、めんどりが鳴いてヒヨコに餌の在りかを教える時(鳴き声=志向的記号)、めんどりが記号の生産者で、ヒヨコがその記号の消費者になるそうです。

消費者は生産者が生み出す記号が表している事態に適合した活動を生み出すそうです。

生産者が生み出す記号は、環境の有り様と何らかの仕方できちんと対応するようになっていなければならないそうです。

そうでないと、環境の変化が記号の変化に対応し、記号の変化が消費者の活動に適合的な変化をもたらすことにはならないそうです。

ただ、記号が正しく世界の事態に対応されていさえすれば良いのであって、その記号がどのように生産されたかは消費者にとってどうでも良いそうです。

生産者の機能は「世界の事態と実際に対応している表象」を生産することだけにあるそうです。

記号が生き物にとって役立つためには真でありさえすれば良いので、極端な話、たまたま真であっても良いそうです。

記号(黒い雲)とそれが表示する物(降雨)の間に相関を維持する自然な仕組みが局地的領域に存在している時、その記号は自然的記号になるそうです。

志向的記号でもあるような自然的記号は、その情報の一部だけを志向的に運ぶそうです。

志向的記号が志向的に運ぶ情報は、志向的記号を使う消費者が利用するような情報だけであるそうです。

例えば、自然的記号の消費者が、ある建物が「三角形である」と言う情報だけを利用するならば、その記号(建物)が志向的に運ぶのは、形だけの情報であり何の建物であるかは関係ないそうです

記号生産者の「本来の機能」は、消費者がうまく利用できるような真なる表象(脳内イメージ)を生み出すことであって、自然的記号を生み出すのはその副産物ないし、そのための手段なのであるそうです。

上の例で言うと、その建物(志向的記号)は消費者に「三角形である」という情報を生み出すことが重要であり、何階建ての建物であるとか、建物の色とか、建物の新旧は、副産物になると言うことだと思います。

なお、自然界は情報の流れとして捉えることができるので、どんな出来事も何らかの自然的記号であると捉えることができるそうです。

ちなみに、伝統的には、次のような分類がなされて来たようです。

  • 因果性を原理とする物理世界を扱うのが、科学
  • 志向性を原理とする精神世界を扱うのが、哲学

目的手段推論とは

「間違うことのできる表象」すなわち「今そこにない物の表象」さらに言い換えれば「志向的表象」をもつことの利点の一つは、目的や目標を心に抱くことができると言うことであるそうです。

また、自分にできる様々な行為の選択肢の帰結を考えて、一番目的に適(かな)ったものを選択する推論を、その本では、「目的手段推論」と言います。

そして、目的手段推論をするには、目的を表象することが必要で、そのためには「志向的表象」つまり「間違いうる表象」が必要になるそうです。

その本では、「目的手段推論を持たない生き物」から、その推論がどのように進化して来たのか、そのシナリオが議論されます。

単純な生き物の認知メカニズムは、外部環境であれ内部状態であれ、そこから自然的情報を手に入れて自然的記号を作り出し、それを行動の引き金として使っているものとして理解できるそうです。

この自然的記号表象(脳内イメージ?)と言うそうです。

また、単純な生き物は、目的手段推論を持ちませんが、その代わりに「オシツオサレツ表象(本能?)を持つそうです。

オシツオサレツ表象」とは、原始的な志向的表象のことで、「事実を記述すること」と「その事実に相応しい行動を指令すること」が分かれていない表象であるそうです。

例えば、カエルの目の前に黒い小さいものが現れると、カエルは舌を伸ばしてそれを捕らえて食べます。

これは、カエルの「オシツオサレツ表象」(本能?)によるものであるそうです。

実際に、カエルは満腹でも、黒い小さいものが現れると、本能的に舌を伸ばしてそれを捕らえて食べるという行動を取るそうです。

一方、目的手段推論は、「指令的な目的の表象」(これをするべしという指令)と「記述的な行為の帰結の表象」(これをやったら世界がどうなるかの記述)が存在して、しかもそれらが分離されていて、自由に組み合わせが可能だと言うことを要求するそうです。

なお、私達は、新しい目的を達成するために、自分にできる事柄をこれまでやったことのない仕方で結合し直すことができるそうです。

それどころか、今のところどうやって実現して良いか分からない目的を表象(イメージ)することすらできるそうです。

ここで目指すべき「進化のシナリオ」は、オシツオサレツ表象が様々な仕方で分節化し、それが新しい仕方で再結合されて行くプロセスであるそうです。

つまり、まず第一歩は、既存のオシツオサレツ表象をいくつかの部品に分けて、それらを再結合して新しいオシツオサレツ表象を作り出すことであるそうです。

オシツオサレツ表象の記述面を色や形など色々な要素に分解し、もう一度組み合わせることによって、少なくとも次の3種類の「準事実的表象」を形成できるそうです。

  • 同じ対象を多くの目的のために認識できるようになる表象
  • 自分の住む縄張りの空間的配置に関する表象
  • 物事が起こる順番およびそれら物事の起こり易さに関する表象

そして、ここから「記述面に特化した表象」と「指令面に特化した表象」の完全な分化のためには、あと何が必要かを考えて行くことになるそうです。

  • 「記述面に特化した表象」=事実の表象=信念・(確信・客観性)
  • 「指令面に特化した表象」=欲求・目的・(モチベーション・内部状態・主観性)

単に未来の状態を表象することと、未来の状態を目標として表象することは違いがあるそうです。

自分がアフォーダンス(=ある行動を本能的に促すもの)に従って今やろうとしている事の結果を単に予想することに比べ、目標を未来に投影し、その目標を達成するためにその場で活動を調整すると言う事は、もっと多くのものを含んでいるそうです。

例えば、次のような仕方で未来の状態を表象する必要があるそうです。

  • 自分がやった結果として生じる未来の状態を目標として表象し、それに合わせて、今やろうとしている行為の予想される結果を調整する。
  • そして、目標状態に達したかどうか、いつ達したのかを認識する。

目標に達しているかを判断できるためには、「目標の表象」と「自分の行為結果の知覚表象」とを比べることができなければならないそうです。

この比較ができるためには、2つの表象(イメージ)が翻訳可能でないといけないそうです。

単にオシツオサレツ表象が2つに分裂し、その2つの面(記述面と指令面)が分離してそれぞれが独立する、と言うことでは済まないそうです。

それらの独立した表象が同じ仕方でコード化されていなければならない、と言うことが分かるそうです。

このコード化によって、生き物は投影した目標に至る活動を適切な時に中止したり、目標に照らして目下の行動を調整することができるようになるそうです。

ポパー型生物(人間)にとって、表象システムの使い道は、まず第一に客観的な世界の構造とその中で起こりうる事柄について、できるだけ多くの表象を効率的に生産することにあるそうです。

シミュレーションができるポパー的な心に宿る表象は、文に似た構造をもつ必要があるそうです。

そして、言語の主要な生物学的目的の一つは、情報のストックを増やすことにあると推測されるそうです。

単純な生き物は特殊者(特定の物)を知覚することによってアフォーダンスされる(行動を本能的に促される)ので、蓄えた情報の使い道は目的手段推論を必要としないと推測されるそうです。

そうだとするなら、目的手段推論は、このような特殊者についていの事実を報告する言語が発達した後で、それの副産物として現れたのではないかと推測できるそうです。

そして、その後、普遍的主張を処理できるように言語が生物学的に進化して、それが目的手段推論に取り込まれた、という仮説が考えられるそうです。

つまり、目的手段推論は、それとは異なる目的(例えばコミュニケーション)のために進化した言語能力に、後から付け加わった追加装置であると言う位置づけになるそうです。

ある哲学者(パピノー)は、目的手段推論は、人間の全ての活動を絶えずコントロールしているシステムと言うよりは、特定の種類のニーズに役立つように特定の環境で活性化する認知メカニズムなのかもしれない、と考えているそうです。

つまり、目的手段推論は、知覚と行為を結び付ける時に必ず用いられる「汎用認知メカニズム」ではなく、特定の用途のためだけに存在している専用の部品として進化したのかもしれないそうです。

(興味深い結論です。目的手段推論は、四柱推命の「財星」(目標達成主義=成果主義)の原型と関わっているのかもしれません。確かに「財星」の前には「洩星」(言語)が必要です。)

おまけ

以前の記事(構造主義)でご紹介したように、「存続するシステム」には、「システムができた理由や起源を追究できないことがある」という特徴があるそうです。

ゆえに、生物の進化から「意味の世界」における概念の起源を探るのは、なかなか難しいところもあると思います。

ただ、そのような発生プロセスを深く考える事で、「意味の世界」の概念がより深く体系的に理解されたり、その本質がより明確になったりすると言うことがあるのかもしれません。