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四柱推命

画家の八字を研究する(その1)【四柱推命】

今回は、画家のパブロ・ピカソの四柱八字を研究してみたいと思います。

ピカソの四柱推命

八字から分かること

パブロ・ピカソ:1881年10月25日23時15分(均時差と経度時差を考慮すると23時15分頃):スペインのマラガ生まれ:火星人(午未):

ピカソの生年月日と生まれた時間は、Astro databaseというサイトで検索しました。

ピカソの通常の八字(命式)は次のようになります。

  • 時 日 月 年
  • 壬 壬 戊 辛
  • 子 辰 戌 巳

小山内流の蔵干を採用すると、八字は次のようになります。

  •            通変での表示
  • 時 日 月 年    時 日 月 年
  • 壬 壬     比 比←官 印   (比=比劫の略)
  •   ↑   ↑      ↑   ↑
  • 戊 戊     比←官 官 財   (矢印=剋)

まず、月支が戊なので、この八字は土旺になります。土が最も旺盛(5)です。

日干の壬は「旺(5)相(4)死(1)囚(2)休(3)」の「死(1)」で最も弱い状態です。

辛は「相(4)」で強いです。丙は「休(3)」で普通の状態です。

そして、日干に隣接する通変は、比劫官殺官殺になります。

隣接する通変とは、日干の左右および下にある通変のことです。

この通変がこの人の気質に最も影響すると考えられています。

比劫のキーワード強い思いしぶとい、芯がある、不器用、苦労、浪費、異性運なし、拡大、分裂=孤立、他者意識、競争心攻撃性、ライバル、奪う・奪われる、仲間意識、同志、一体化、共有、共生、協力、進化(環境適応など)、継続、体力系、アスリート気質、努力、勇気・元気・やる気・本気・根気、吉凶混在。

官殺のキーワード:自制心、責任感、正義感、使命感、他者貢献、承認欲求、感謝されたい、不安感、危機管理力、強迫観念、ネガティブな感情、クヨクヨしがち、落ち込み易い、義務感、鋭敏、虚勢、萎縮、自己犠牲=人のために尽くす、逆境に身を置く、自己の存在意義や存在価値、組織、公職、力関係、社会帰属意識、出世、地位名誉、権力、革命家=理想家、反抗心怒り人の心を揺さぶる、維持管理、自分の事より他の事を優先する、マスト思考、規律を守る、従順性、思考停止、押し付けがましい、お節介、自分にも他人にも厳しい、忍耐力、努力家、暴力、非道、ヒーロー気質、リーダー気質、協調性、同調圧力、非結果主義(プロセス重視)、修業・鍛錬・試練・躾、礼節丁寧、控え目、ストレス、重荷、病気、倫理観、モラル、道徳、縦社会、体育会系、秩序。

日干の強弱を判断すると、月令を得た官殺が2つ隣接しているので、身弱になります。

よって、大運では水と金が吉になります。

年干は印なので、「人から愛される人生」になるのではないかと予想できます。

印は得令を得ていますが、年支から剋されているので、人気・権威を得るまでには何らかの困難が予想されます。

また、八字に木「食傷」がありません。ゆえに、もしかすると、ストレス発散が下手だったり、自発性がなかったりするかもしれません。

ただ、この八字は官殺がとても強いです(いわゆる大過)。よって、反作用として木「食傷」の性質(発散力・表現力・行動力)が自然に強まると予想されます。

画家の八字に表現の星である「食傷」がないのは、四柱推命を学んでいる方からすると、意外かもしれません。

しかし、この八字ではあまりにも「官殺」が強いので、その自然な反作用として、「食傷」の性質(表現力・発散力など)が日干の中で強まっていると考えられます。

つまり、強過ぎる官殺を食傷で剋さないと(抑(おさ)えないと)、官殺に押し潰(つぶ)されてしまい、やっていられない(生きて行けない)のだと思います。

ただ、この八字は、土が強いですが、水も多い(強い)です。

つまり、壬は通根(=天干と地支に同じ五行がある)しています。戊も通根しています。

通根すると、その五行の性質や特徴がより強まると考えられています。)

水のキーワードは、次のようになります:

(感情・思考の)変化、適応力(柔軟性、順応性、環境適応)、知的研究心探究心、情報伝達、冷静沈着(冷めている視点)、特殊化(収斂=1点への収束、集約、特化、専門化、専用、こだわりの少なさ)、公平な目線(対等な関係、平等な視点)、横社会(横の繋がりを重視)。

土のキーワードは、次のようになります:

不動、信念の不変、恒常性(一定の状態に保つ)、調節・調整、安定感、保持、保存、バランス、記憶、柔和、マイペース、信頼・信用、現実的、集める・守る・育てる、複雑、中央、全体、器、要。

この八字のように、水と土が対立(相剋)すると、次のような対立が(心の世界や現実的事象で)現れるのではないかと予想されます:

変化vs保存、不定vs一定、情報伝達vs情報遮断

そして、地支に「剋」があるので、次のキーワードが出て来ます:

葛藤、心の迷い、心の対立(矛盾)、心の封鎖、離婚、価値観の変化、生成と発展。

また、この八字の最強の五行は土のなので、次の土の部位の病気には注意が必要です:

胃、消化器系、皮膚、脂肪、鼻。

また、土は水を剋すため、次の水の部位の病気にも注意が必要です:

腎臓、泌尿器系、生殖器系、循環器系(ホルモン,体液,血液)、耳、冷え性。

以上が八字から私が読み取れる極めて抽象的な情報です。

残念ながら、具体的な事象として何が現れるかは、なかなか分かりません。

ゆえに、四柱推命では、その八字を持つ方との対話が必要なのだと思います。

対話によって、抽象的な推測が具体化されるのだと思います。

大運から分かること

ピカソの大運は次のようになります。

  • 6  16 26 36 46 56 66 76 86(歳)
  • 丁  丙  乙  甲  癸  壬  辛  庚  己
  • 酉  申  未  午  巳  辰  卯  寅  丑

そして、小山内流の蔵干を採用すると、大運は次のようになります。

  • 6  14 16 26 32 36 44 46 56 62 66 74 76
  • ● ● ● 乙  乙  甲  甲  癸  壬  壬  辛  辛  庚
  • 辛  庚  庚    ● ● ● ●   乙  乙  甲  甲
  • 続き
  • 86 92(歳)
  • 己  己
  •   

ここで●には色々な意味があるのですが、例えば、自分の仕事が他者から認めれる可能性がある時期になります。

なお、●の詳しい説明は、こちらのYouTubeをご覧下さい。

私の研究では、若い時期に●があると、学生時代勉強ができたりスポーツに励んだり、若い時から社会で活躍したりする可能性が出て来ます。

また、八字において土「官殺」が非常に強いので、土を剋す「木の大運」(26歳~45歳まで)は、比較的良い時期になるかもしれません。

また、46歳から55歳までの大運「癸」は八字(命式)の戊と干合し、戊の官殺の働きを抑(おさ)えるので、この時期も吉の事象が現れ易いかもしれません。

また、この方は身弱なので、水と金が巡る大運(46歳から85歳まで)は、健康面(体調面)が整い易いかもしれません。

逆に、ただでさえ強い土がさらに強まる86歳から91歳までの「土の大運(己己)」は、健康面(体調面)で要注意な時期になると予想されます。

ただ、一般に86歳位からは常に健康面に要注意な時期になると思いますが。

ピカソの人生

ピカソの年表

ChatGPTによると、ピカソの年表は次のようになります。(なお、色が付いた年齢はピカソが代表作を発表した年齢です)。

年   年齢      出来事
1881年 0歳 スペイン、マラガに生まれる
1895年 14歳 バルセロナに移住。ラ・ロンサ大学に入学
1900年 19歳 初めてパリを訪問し、フランスの美術に触れる
1901年 20歳 青の時代が始まる(〜1904年)
1904年 23歳 パリのバトー・ラヴォワールに定住、薔薇色の時代が始まる(〜1906年)
1907年 26歳 「アヴィニョンの娘たち」を制作し、キュビスムの発端を作る
1909年 28歳 キュビスムの発展、ジョルジュ・ブラックと共同制作
1917年 36歳 バレエ団「ロシア・バレエ団」のための舞台美術を担当
1921年 40歳 息子ポーロ生まれる
1937年 56歳 「ゲルニカ」を制作。スペイン内戦に対する抗議作品
1946年 65歳 南フランスに移住、陶芸や彫刻に取り組む
1954年 73歳 ジャクリーヌ・ロックと出会う
1961年 80歳 ジャクリーヌ・ロックと結婚
1973年 91歳 フランス、ムージャンで死去

  • 6  14 16 26 32 36 44 46 56 62 66 74 76
  • ● ● ● 乙  乙  甲  甲  癸  壬  壬  辛  辛  庚
  • 辛  庚  庚    ● ● ● ●   乙  乙  甲  甲

また、ピカソの代表作は次のようになります。

  • アヴィニョンの娘たち(Les Demoiselles d’Avignon)(1907年 26歳
    • キュビスムの先駆けとなった作品で、五人の裸婦像が特徴的です。
  • ゲルニカ(Guernica)(1937年 56歳
    • スペイン内戦中のゲルニカ爆撃に対する抗議として描かれた巨大な絵画で、戦争の悲惨さを描いています。
  • 青い自画像(Self-portrait)(1901年 20歳
    • 青の時代を代表する作品の一つで、ピカソの感情や内面を色彩で表現しています。
  • 泣く女(The Weeping Woman)(1937年 56歳
    • ゲルニカと同じく、戦争の悲惨さを表現した作品で、泣いている女性の顔が象徴的です。
  • 三人の音楽家(Three Musicians)(1921年 40歳
    • キュビスムの成熟期に描かれた作品で、幾何学的な形と明るい色彩が特徴です。
  • ドラ・マールの肖像(Portrait of Dora Maar)(1937年 56歳
    • ピカソのミューズであったドラ・マールを描いた作品で、独特のスタイルが特徴です。
  • 泣く女の肖像(Portrait of Weeping Woman)(1937年 56歳
    • ドラ・マールをモデルにした作品で、泣いている女性の顔が強烈に表現されています。

興味深いことに、ピカソが代表作を発表した年齢は、大運の●の時期にだいたい収まっています。

ピカソの性格・人柄

ChatGPTによると、パブロ・ピカソの性格や人柄は以下のようにまとめられるようです。

パブロ・ピカソの性格や人柄については、多くの証言やエピソードが残されています。彼の性格は多面的であり、以下のような特徴が挙げられます。

創造的で革新的

  • 創造力豊か: ピカソは常に新しいアイデアや技法を探求し、キュビスムなどの革新的なスタイルを生み出しました。(←―水の研究心や探究心の性質のためでしょうか。または反作用としての食傷のためでしょうか
  • 実験的: 彼は生涯にわたって様々なメディアやスタイルを試みました。絵画だけでなく、彫刻や陶芸にも積極的に取り組みました。(←―水の変化の性質のためでしょうか

エネルギッシュで情熱的

  • 精力的: ピカソは非常にエネルギッシュで、一日中制作活動に没頭することも珍しくありませんでした。(←―日干が陽干で通根しているためでしょうか
  • 情熱的: 彼は自分の作品や芸術に対して非常に情熱を持っており、その情熱は彼の作品にも表れています。(←―日干が通根しているためでしょうか、比劫=しぶとい、やる気、継続)

複雑で対照的

  • 複雑な性格: ピカソは非常に複雑な性格の持ち主であり、一方で魅力的でカリスマ的でありながら、他方では支配的で独裁的な一面も持っていました。(←―土には複雑という象意があります。官殺の悪い事象=非道が出たのでしょうか。強い比劫のためかもしれません)
  • 自己中心的: 多くの証言によれば、ピカソは自己中心的であり、自分の意志を貫くために他人を犠牲にすることもあったと言われています。(←―強い比劫のためでしょうか)

人間関係

  • 女性関係: ピカソの人生には多くの女性が登場し、その多くは彼のミューズや恋人でした。彼の女性関係は非常に複雑であり、多くの愛人を持ちながらも、その関係はしばしばトラブルを引き起こしました。(←―「地支の剋」のためでしょうか)
  • 家族との関係: ピカソは家族に対しても複雑な感情を持っており、特に父親との関係には緊張がありました。しかし、彼は自分の子供たちに対しては深い愛情を持っていました。(←―「地支の剋」のためでしょうか、「土=複雑」のためでしょうか)

知性とユーモア

  • 知性的: ピカソは非常に知的であり、広範な知識を持っていました。彼は文学や音楽、哲学にも興味を持っていました。(←―水の知的という性質のためでしょうか)
  • ユーモア: ピカソはユーモアのセンスも持ち合わせており、しばしば冗談を言ったり、風刺的な作品を制作したりしました。(←―水の知的・適応力・柔軟性という性質のためでしょうか)

これらの特徴から、ピカソは非常に多面的で複雑な人物であったことが分かるそうです。彼の性格や人柄は、彼の作品や生涯に大きな影響を与えたそうです。

ピカソの苦労

ChatGPTによると、ピカソは19歳から画家として評価されて来たようですが、次のような苦労があったようです。

パブロ・ピカソは画家として成功を収める前に、いくつかの困難や試練を経験しました。彼の人生とキャリアの初期には、次のような苦労がありました。

初期の困難

  • 経済的困窮: ピカソの家族は裕福ではなく、彼の初期のキャリアは経済的に困難なものでした。パリに移住した当初、彼は非常に貧しい生活を送り作品が売れないこともありました。(←―年柱の「天地の剋」に関わる事象でしょうか?)
  • 精神的苦痛: 青の時代(1901年~1904年)は、ピカソが精神的に苦しい時期でした。友人の自殺などの出来事が彼に深い影響を与え、作品にもその影響が現れています。

パリでの生活

  • 競争の激しい環境: パリは当時、世界中から多くの才能あるアーティストが集まる競争の激しい場所でした。ピカソはこの中で自身のスタイルを確立し、注目を集めるために努力しました。(←―比劫には競争心という象意があります)
  • 芸術的な挑戦: ピカソは常に新しいスタイルや技法を追求し、芸術的な挑戦を続けました。キュビスムの創始など、彼の革新的なアイデアは当初は理解されず、批判されることもありました。(←―官殺=革命家のためでしょうか)

人間関係と私生活の問題

  • 人間関係のトラブル: ピカソの複雑な性格激しい情熱は、しばしば人間関係のトラブルを引き起こしました。特に彼の女性関係は非常に複雑であり、これが彼の私生活に影響を与えました。(←―土=複雑、地支の剋=心の揺らぎ・不安定さ、官殺=非道のためでしょうか)
  • 政治的な圧力: ピカソはスペイン内戦や第二次世界大戦中に政治的な圧力や困難に直面しました。彼の作品「ゲルニカ」はスペイン内戦に対する抗議として制作されましたが、これにより彼は政治的な議論の中心に立つこととなりました。(←―官殺=反抗心のためでしょうか)

成功とその後の挑戦

  • 早期の成功: ピカソは比較的若い頃から評価を受けましたが、成功を維持し続けるためには常に新しいことに挑戦し続ける必要がありました。(←―若い時期における大運の●のためでしょうか)彼は生涯にわたって多くのスタイルを試み、多様なメディアで作品を制作しました。(←―比劫=進化、水=変化・情報伝達のためでしょうか)
  • 世間の期待: ピカソは一度成功を収めた後も、世間の期待に応え続けるプレッシャーを感じていました。彼の新しい作品は常に高い評価を受けるわけではなく、批判にさらされることもありました。(←―官殺にはプレッシャー・批判の象意があります)

総じて言えば、ピカソは画家として大きな成功を収めましたが、その過程には多くの苦労や挑戦が伴っていたそうです。彼の才能と努力、そして革新への飽くなき追求が、彼を20世紀最大の芸術家の一人に押し上げたそうです。

ピカソの子供時代

ChatGPTによると、ピカソの子供時代は次のようになるようです。

パブロ・ピカソの子供時代は、彼の後の芸術的才能とキャリアに大きな影響を与えました。以下は彼の子供時代に関する主要なポイントです。

早期の人生と家族背景

  • 誕生と家族: 1881年10月25日にスペインのマラガで生まれました。父親のホセ・ルイス・ブラスコは画家であり、美術教師でもありました。母親はマリア・ピカソ・ロペスです。
  • 芸術への早期の関心: ピカソは非常に幼い頃から芸術に対して強い関心を示しました。彼の父親は彼の才能に気付き、早くから絵画の基礎を教え始めました。ピカソは、鉛筆で描くことや素描の技術をすぐに習得しました。

教育と初期の作品

  • 初期の教育: ピカソの父親は彼の才能を伸ばすために積極的に教育を行い、彼は早くから美術教育を受けました。ピカソは最初の絵を非常に若い年齢で描き始め、7歳の頃には父親のアトリエで絵を描いていました。
  • 早期の作品: 彼の初期の作品には、父親から学んだ伝統的な技法が反映されていますピカソは10代の頃にはすでに非常に高い技術を持っており、1890年代半ばには本格的な絵画を制作していました。(←―官殺の「真面目さや従順性」に関わる事象でしょうか)

バルセロナとマドリードでの学び

  • バルセロナ: 1895年、ピカソの家族はバルセロナに移住し、彼はラ・ロンサ大学に入学しました。ここで彼は多くの影響を受け、地元の芸術家たちとの交流を深めました。この時期に彼は「ピカソ」のサインを使い始めました。
  • マドリード: 1897年には、ピカソはマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学しました。しかし、彼は公式な教育に対して反発を感じ、自主的に学ぶことを選びました。この時期には、スペインの主要な美術館や展覧会を訪れ、多くの古典的な作品に触れる機会を持ちました。(←―官殺の反抗心のためでしょうか)

若い頃の影響とスタイルの変化

  • 影響: ピカソの初期の作品には、彼の父親や伝統的なスペインの画家たちの影響が強く現れています。しかし、彼は常に新しいスタイルや技法を追求し、早くから多様な影響を受け入れる柔軟性を持っていました。(←―水=柔軟性のためでしょうか)
  • スタイルの変化: ピカソのスタイルは彼の若い頃から急速に変化していきました。彼の初期の作品には写実主義的な要素が強く見られましたが、パリに移住してからは青の時代や薔薇色の時代を経て、キュビスムなどの革新的なスタイルを次々と生み出しました。(←―水=変化のためでしょうか)

ピカソの子供時代は、その後の彼のキャリアにおける基盤を築いた重要な時期だったそうです。彼の家族や教育、初期の経験は、彼の才能を育み、その後の革新的な芸術活動の土台となったそうです。

ピカソの功績

ChatGPTまたはGemini1.5Proによると、ピカソが美術界で高く評価される理由の一部は、次のようになるようです。

キュビスムの創始

ピカソは、ジョルジュ・ブラックと共にキュビスムを創始しました。キュビスムは、伝統的な遠近法を放棄し、物体を複数の視点から同時に描くという新しい視覚言語を提供しました。この革新は、20世紀の美術において最も重要な変革の一つとされています(←―水の「変化」の性質のためでしょうか。視点の変化?)。

抽象絵画への道を開く

キュビスムは、対象を抽象化していく過程でもあり、後の抽象絵画の出現に大きな影響を与えました。彼は具象と抽象の間を自由に行き来し、絵画の可能性を大きく広げました(←―彼の八字も水と土という相反する五行で主に構成されています)。

ブルーとローズ時代

ピカソは、そのキャリアの初期においても独自のスタイルを確立しました。ブルー時代(1901-1904)には、青を基調とした陰鬱な作品を多く制作し、ローズ時代(1904-1906)には暖色を使ったより明るい作品を生み出しました。これらの時期は、彼の感情や精神状態を色彩で表現する力を示しています(←―彼の八字も青(水)と暖色(土・火)で二分されています)。

生涯に渡る探求

ピカソは、キュビスムにとどまらず、生涯に渡り、様々な画風や技法に挑戦し続けました。青の時代、バラ色の時代、新古典主義、シュルレアリスムなど、その作風の幅広さは、彼の飽くなき探求心創作意欲の表れです(←―水=探究心・研究心、比劫=強い思い=やる気のためでしょうか)。