ヨーク研究所
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私の先生たち

司法試験に合格したのに荒れた中学校で教師をしていた先生の話

今回は、高校の時の社会科のI田先生の話を紹介します。

【注意】

  • この話は随分と昔の話であり、記憶が曖昧だったり、不適切な表現や勘違いなどが含まれているかもしれませんが、温かい目で読んで頂ければ幸いです.
  • 個人情報などを守るため、実際の内容を少し変更した部分があります.

I田先生との出会い

I田先生は私の高校で政治・経済を教えていらっしゃいました。

私は、高校1年の時に、I田先生の授業を受けました。

かなりベテランの先生で、すでに担任のクラスは持っておらず、授業のみをされているようでした。

しかし、非常に凛とした雰囲気があり、お年にしては機敏な小柄な先生でした。

かつては、バトミントン部の顧問をしていたと聞きました。

授業では、具体例を挙げ、経済用語や経済の仕組みを噛み砕いて説明してくれていたと思います。

I田先生のお話は、私にはテンポが良く感じられ、聞き取り易かったです。

「喧嘩のやり方教えてやるよ」事件

高校生活にも慣れて来た頃だったと思います。

その日も普通にI田先生の授業が始まりました。

少し授業を聞く態度が悪い生徒がいたようで、I田先生は活発なある生徒を注意しました。

その生徒としては普通に授業を聞いていたようで、「ちゃんと聞いてましたよ」とか言う様なことをI田先生にやや反抗的に言い返しました。

すると、I田先生も「何を!」と言わんばかりにポケットに手を突っ込み、「喧嘩のやり方教えてやるよ」と言いました。

一瞬、軽いパニックが教室を覆いましたが、クラスは静まり返り、それ以上はその生徒も言い返さなかったので、それ以降は普通に授業が続きました。

高校の先生によるこの発言には生徒全員ビックリしたと思います。

むしろ、先生方は生徒の喧嘩を止める方ではないかと思いましたし、本当に喧嘩をしたら、小柄でお年のI田先生は負けてしまうのではないかとも思いました。

しかしながら、非常に「粋」な発言だったと思います。この頃からかもしれませんが、私はI田先生の発言に注目するようになりました。

「何か悔しいから」で司法試験に合格

I田先生は授業中に雑談を挟むタイプではなかったのですが、その日は珍しくご自身のことを語って下さいました。

I田先生は中央大学法学部に入学されたそうですが、教育に興味があったそうです。

それで、大学時代に中学・高校の教員免許を取ったとのことでした。

I田先生の学生時代は特に、中央大学法学部と言えば、司法試験の合格率が高いことで有名だったようで、中央大学法学部を卒業したのに、司法試験に合格していないのは「恥」だったようです。

それで、I田先生は弁護士や裁判官になる気はないけれど、「何か悔しい」ので司法試験の勉強をし、司法試験に合格したそうです。

日本最高難度の国家試験を「何か悔しいから」という理由で合格してしまう人は中々いないと思いました。

なお、「合格後に受ける必要のある司法修習を受けなかったので、弁護士資格は持っていない」とおっしゃっていました。高校生の私は「そんな勿体無いことをする人もいるのだなぁ」と思っていました。

I田先生の中学教師時代

教員免許を取ったI田先生は、とにかく荒れた中学校に赴任したかったそうです。

「荒れた中学校を何とかしたい」という思いからだと思いますが、なかなか正義感や教師の使命感だけでは自ら進んで荒れた中学校を希望することはできないと思います。

案の定、荒れた中学校では、I田先生が板書をしていると後ろからバナナの皮を投げ付けられたこともあったそうです。

それでも、I田先生は、生徒にルールを教えてあげたり生徒と共に行動することが本当に好きなのでしょう、持ち前のバイタリティと頭脳で荒れた中学校を立て直して行ったようです。

立て直し終わると、また別の荒れた中学校に赴任したそうです。

そんなことを繰り返している内に、時代も変わり、荒れた中学校も減って行ったそうです。

竹やりでエイヤー

I田先生は授業中に雑談を挟むタイプではなかったのですが、その日は戦争の話題だったためか、つい熱が入ってしまわれたようで、戦時中のご自身のお話をして下さいました。

広島にアメリカが原爆を投下しようとしていた時、I田先生は小学生ぐらいで広島の近くにお住まいだったようです。疎開されていたのかもしれません。

アメリカに勝つため、I田少年は学校でB29爆撃機を撃墜するための術を学んでいたそうで、

竹やりを持たされ、先生の号令の下、生徒全員で竹やりの突き方の練習をしていたそうです。

すると、ピカとした閃光と共に、ドーンという大怒号が響いて来たとのことでした。

当時を振り返り、I田先生は「ピカ・ドーンって原爆落されているのに、竹やり持って『エイヤー』とか言っている場合じゃない」とおっしゃいました。

また、この時の「竹やりでエイヤーって練習するんだよ。竹やりでエイヤーって」というI田先生の言葉には、竹やりでは勝てないことが分かりつつ、どうしようもない日本の状況と日本政府に対する皮肉がうかがえるものでした。

ラーメン鉢をかじる奴

ある授業でI田先生はラーメン屋の例を挙げ「利潤」の説明をされたことがありました。

「利潤とは売上から全ての費用を引いた金額のことで、費用と言うのは原材料費だったり、思わぬ費用も含む」と言われ、

「思わぬ費用というのは、例えば、お客さんにはラーメン鉢をかじる奴もいるから・・・」とテンポ良く説明されました。

私は「ラーメン鉢をかじる奴」に引っ掛かってしまいました。「そんな奴いるのか」と思った瞬間、なぜか「可笑(おか)しく」なってしまいました。

また、ある授業では人権の話となり、昔の警察官は威張っていたという話になりました。

I田先生によると、昔の警察官はサーベルを持っており、何かと「おい、コラ」と当たり散らしていたそうで、市民からは「おいコラおまわり」と呼ばれていたそうです。

その実演付き説明がまたしても私には可笑しかったのです。

I田先生と私

高校生の私はバラエティ番組では笑うことはなかったのですが、なぜかI田先生の授業では時どき「可笑しく」なってしまうことがありました。

同級生の中でも、私だけがI田先生の話に「可笑しさ」を感じているようでした。

実際に、授業後、生徒の間でI田先生のことが話題に上がることはありませんでした。

もちろん、私もI田先生以外の授業では「可笑しく」なることはありませんでした。

そんな中、同級生の中に一人だけ私の理解者が現れました。

その理解者に対して私はI田先生のモノマネをするようになりました。

I田先生の話し方には特徴的なリズムがあったのです。そのリズムを真似していました。

さらに、I田先生の話には傾向がありました。例えば、アメリカに嫌悪感のようなものがあったり、本当は生徒が大好きだったり、妙にせっかちな所があったり。

その傾向を基に、I田先生が言いそうなことをモノマネし、私とその理解者は一日中たわいない会話を楽しんでいました。

例えば、「クリントンだか『栗きんとん』だか知らんが、アメリカの大統領というのは・・・」と言った感じです。

余談

I田先生のお話が特に絶好調な回があり、私は笑いを誤魔化そうとして、下を向いたり、歯を食いしばったりしていました。

すると、それに気付いた同級生から「あぁ、やっぱり笑っちゃってるよ」というような視線を向けられてしまいました。

その同級生からすれば、I田先生の授業を聞いて、人知れず笑いを我慢している私の方が面白かったようです。

I田先生とのお別れの時

3月頃だったと思います。

帰りのホームルームで、担任の先生から「実は、I田先生は腎臓にご病気がある」と告げられました。

さらに「その治療のため人工透析を週に何度か受けており、残念ながら今年度でご退職される」と伝えられました。

なお、担任の先生によると「人工透析では気分が悪くなることもある」とのことでした。

そんな重いご病気を抱えながらも、常に凛とした態度で、ご病気の素振りも見せず、分かり易く面白い授業をして下さっていたことを思うと、

現在の私としては唯々感謝と尊敬の念を抱かずにはいられませんが、

当時の私は、もちろん、お気の毒にという気持ちと残念な気持ちが大きかったのですが、まだまだ薄っぺらい少年で、淡々と事実を受け入れていたと思います。

そこで、担任の先生から奇跡的な提案があり、I田先生の最後の授業の時に花束をお贈りしましょうということになりました。

(今思うと、なぜ私のクラスが花束をお贈りすることになったのか不思議です。I田先生は他のクラスでも授業されていましたので。)

私がI田先生のモノマネをして二人で楽しんでいることは、クラスでは有名になっていたので、私が花束をお贈りすることになりました。

当日、私は少し緊張しながら教壇に上がり、花束をお贈りしました。

I田先生は「ありがとう」と言いながら笑顔で受け取って下さいました。

すると、生徒全員が拍手し、拍手が終わると、同級生の何人かが「モノマネやって」と私に言いました。

その時、私は瞬時の判断でモノマネしませんでした。

I田先生は「モノマネって何のことだ?」という顔をされていたと思います。

文化祭にて、たまたま

高2の文化祭の時に、私はたまたま廊下でI田先生に再会しました。

私がI田先生に「こんにちは」と挨拶すると、I田先生も挨拶してくれました。

I田先生は、何か用事があったのでしょう、足早にどこかへ行ってしまわれました。

私が隣にいたクラスメイトに「握手してもらえば良かった」と言うと、「正気かこの野郎」みたいな顔をされてしまいました。