今回は、中学の時の社会科の先生(M崎先生)の話を紹介します。
【注意】
- この話は随分と昔の話であり、記憶が曖昧だったり、不適切な表現や勘違いなどが含まれているかもしれませんが、温かい目で読んで頂ければ幸いです.
- 個人情報などを守るため、実際の内容を少し変更した部分があります.
M崎先生との出会い
私が初めてM崎先生にお目にかかったのは、中学2年の始業式の日でした。
新任の社会科の先生として紹介されていました。
中学の先生としては珍しい独特な雰囲気があったような気もしますが、その時は特に気になることはありませんでした。
M崎先生の最初の授業
M崎先生は無表情でスタスタと教室に入って来て、おもむろに教壇の椅子に座り、
生徒全員に「帝国の首都は」と昭和天皇の玉音放送の話し方に近い感じで質問しました。
「帝国」という言葉から、私は直ぐに「変わった先生だなぁ」と思いました。
生徒全員が「東京のことか?」と思いつつ答えないでいると、真顔で「千代田区千代田1-1ね」とM崎先生は言いました。
生徒全員「はぁ、そうですか」という感じだったと思います。
徐々に分かって行くのですが、M崎先生は天皇が大好きなようで、天皇とは呼ばず、天子様と呼んでいました。
「天子様にお手紙を出して、卒業式に来てもらいましょうかね」と授業中につぶやいていたこともありました。
中学生の私にとって、M崎先生の発言は普通の先生方とはかなり異なっており、いつの間にか「M崎劇場」の隠れファンになって行きました。
M崎先生の正体
M崎先生の話し方は特徴的で、基本的に真顔で単調(昭和天皇の玉音放送の話し方を和らげたような感じ)、時々自分の言っていることに面白くなり、控えめな「吹き出し笑い」を挟みます。
だからと言って、女子生徒から変な噂を立てられる様なことはなかったと思います。
その理由として考えられるのは、M崎先生の圧倒的な知能だと思います。
M崎先生によると、M崎先生は京都大学法学部卒で、省庁に務めていた時期もあり、教員免許状は拾ったとのことでした。
また、一流私立大学にも通っていたそうですが、学費を滞納していたら、除籍になってしまったそうです。
教員免許状を拾ったというのは嘘だと思いますが、その他の経歴が嘘かどうかは不明です。
ただ、授業中に展開するM崎先生の時事ニュースに対する意見や考察は、とてもユニークで高い知性を感じさせるものでした。
すみません、具体的にどのような意見や考察を話していたのかは、忘れてしまいました。
ただ、あるニュース番組をよく見ているようで、キャスターのコメントによく反論していたことは何となく覚えています。あるニュースに対して「私なら世界を股にかけて逃げますけどね」と言っていたことも覚えているのですが、あるニュースが何であったかは忘れてしまいました。
また、英語よりフランス語が得意で、フランス語に変換してから英語を考えると仰っており、中学生の私は素直にすごい人だと思っていました。
M崎先生がフランス語で話すのを聞いたことがある人もいました。私が聞いたことがあるのは、M崎先生がキツイ方言で語る大砲の砲弾の軌道計算の話です。
M崎先生と暑さ
M崎先生は生徒が「暑い、暑い」言っていると、すかさず「脱げ」と言います。
「脱げ」と言うのは「服を脱いで涼んでも構いませんよ」と言うことらしいのですが、実際に脱いだ生徒はもちろんいません。
また、教室が暑い時には、M崎先生は「教室の後ろ側のドアを10cm開けろ」と生徒に指令を出します。
なぜ10cmなのかは不明です。ある生徒は厳密に定規で10cm測ってドアを開けたそうです。
その生徒の行動には、さすがのM崎先生も一本取られたようで、いつもの「控えめな吹き出し笑い」でその話を語り面白がっていました。
M崎先生と美少年
私のクラスにはクリスチャンで美少年な生徒がいたのですが、M崎先生はその生徒と話をしたかったのか、「私もクリスチャンです」と授業中に告白しました。
最初はその告白を私は疑っていたのですが、プロテスタントやカトリックなどのキリスト教に関する知識は確かにもっていました。社会科の先生なので当然かもしれませんが。
その告白以後、M崎先生は授業中にその美少年に「今週は教会へ行きましたか」と尋ねるようになりました。しばらくすると飽きてしまったのか尋ねなくなりましたが、M崎先生自身は教会に行っていない感じでした。
一方で、事あるごとに「サタンの火を放って(悪い生徒を)懲らしめてやりましょうかね」と言うようになりました。
私はクリスチャンではないので「サタンの火」が何なのか分かりませんでしたが、子供のようなことを言う高学歴の先生に「面白さ」を感じていました。
そして、今でも不可解なのですが、その美少年と私だけにM崎先生が授業中にその日の授業の小テストを課したことがありました。他の生徒は6分ほどただ静かに待つのみです。
残念ながら、私は半分ぐらいしか出来ませんでした。授業内容よりもM崎先生の雑談に意識が向いていたためだと思います。それでも、M崎先生から怒られることも何かそのテストについて言及されることもありませんでした。
M崎先生と男子生徒
M崎先生は板書後のちょっとした合間に生徒と個人的な話をすることを好んでいました。
女子生徒より男子生徒と話すことが多く、結構言いたい放題のところがあります。
例えば、活発なある生徒に「昨夜はどんなテレビ番組を見ていましたか」と尋ね、最終的にはある深夜番組の感想のようなことを聞いていました。
また、M崎先生はテニス部のある生徒が同じテニス部の生徒と校庭でふざけ合っているのを職員室から見ていたようで、「なぜ小柄の君が大柄の彼を制圧していたのですか」と不思議そうに尋ねていました。
また、M崎先生は、一時期、愛想が良いある生徒のことを「中学生にはよく分からない呼び名」で呼んでいました。さらに、しばらくの期間、M崎先生は、柏手(かしわで)を打ち、その生徒を毎朝拝(おが)んでいたそうです。もちろん、その理由は不明です。
そう言う意味では、私は授業中にM崎先生に話かけられたことはなく、上記の小テストが最初で最後のM崎先生とのやり取りです。
ただ、私の知る限り、男子生徒でM崎先生に敵意を示す人はいなかったような気がします。
その理由は、M崎先生は根は明るく、変に純粋・正直で、計算高い大人がもつ邪心がないためかもしれません。
M崎先生としては男子生徒や他の教師に失礼なことや場違いなことを言っている気はあまりなく、むしろ自分の主張・考えを伝え共有したい気持ちが強かったのではないかと思います。
ただ、高知能すぎるためか、普通の人とは視点やこだわりが異なることが少なくなく、M崎先生と同レベルで思考できる人はほぼいなかったのではないかと推測します。
確かに、授業中に「孤独と単独の違い」について語っていたこともありました。
一方で、一部の素行の悪い女子生徒からは多少揶揄(やゆ)されたこともあったようです。
実際に、一度だけ授業中に少し離れた教室からM崎先生の大声が聞こえて来たことがあり、その原因が女子生徒とのトラブルだったと聞いた覚えがあります。
M崎先生 対 S子先生(その1)
M崎先生には、ライバルの女性英語教師(以下S子先生)がいました。
「ライバル」と言うのは、つまり相性が悪いと言うことです。
言い換えれば、M崎先生の意見とS子先生の意見はしばしば対立しているようでした。
M崎先生は常識にとらわれない冷静沈着なタイプですが、S子先生は常識的で情熱的かつ感情的なタイプでした。
例えば、「修学旅行は私服で行くべきか、制服でいくべきか」という議論がありました。
M崎先生は私服の方が旅先に溶け込めるので、他校の生徒とのトラブルを回避でき、都合が良いと考えていたようです。
ただ、制服は貧富の差が出ないので良い面もあるとM崎先生は言っていました。
結果は、制服で行くことになりました。
恐らく、このような意見の対立が職員室で度々あったのだと思います。次第にM崎先生は授業中にS子先生のことを話すようになりました。
M崎先生によると、S子先生はある双子の生徒(私の中学では美少年で有名な双子)の見分け方を職員室で話していたようで
「和也君の背中にはホクロはないけど、卓也君の背中にはホクロがあるの」と言っていたそうです。
M崎先生はすかさず「S子先生は彼らの裸をじっと見ていたのでしょうかね」と続けました。
M崎先生 対 S子先生(その2)
M崎先生は期末テストに「M崎が英語を話さない理由を述べよ」という問題を出しました。
ある生徒が「M崎先生は英語のS子先生が嫌いだから」と解答したようで、M崎先生は「思わず正解にしようかと思いましたが、違います」と言いました。
ちなみに、正解は「アメリカが日本を戦争に巻き込んだから」というような社会科らしい理由だったと記憶しています。
ちなみに、S子先生は英語の発音の教え方が特徴的でした。一生懸命に発音の仕方を教えてくれるのですが、S子先生の強烈な発音の仕方が耳に残ってしまった生徒も少なくないと思います。
ある最近のCMはその耳に残る発音の仕方を逆手にとって利用していました。
一方、M崎先生も中国の都市名の発音にはこだわりがあるようで、ネイティブのような発音で「大連(タイレン)」や「青島(チンタオ)」などの都市名を丁寧に連呼していました。
ちなみに、M崎先生は瞬間記憶能力(カメラアイ)を持っているようで、社会の教科書などはページをめくって少し確認して行くだけで次々と記憶できたそうです。
M崎先生の影響力
私の大学進学の理由
私の学年がM崎先生の授業を受けたのはわずか1年間でした。
しかし、M崎先生は一部の生徒には大きな影響を与えたと思います。
例えば、M崎先生のある知的な習慣を生徒会長が真似ていました。
そして、私が大学に行こうと思ったのは、間違いなくM崎先生の影響です。
つまり、中学生の私は、京大や東大に行けば、M崎先生のような頭の良い面白い人に出会えると思ったのです。
私の分析
中学生の私から見れば、他の中学教師は生徒の指導に四苦八苦している感じでした。
一方、M崎先生は、生徒を自分の手のひらの中で転がすかのように、余裕で生徒とのやり取りを楽しんでいる感じでした。
つまり、私から見れば、M崎先生は他の中学教師とは知能のレベルが明らかに違っていました。
中学生の私はそれまで知能の高い人に会ったことがなかったので、M崎先生に注目してしまったのかもしれません。
M崎先生と日本の将来
また、M崎先生の生き方・生き様も魅力的でした。
つまり、明確な自分の世界・空間を持ってはいるのですが、その世界・空間に閉じこもることなく、自分の知性や知能で周りの人々を自分のペースに巻き込き、何者にも屈せず自由に生きて行く姿勢は、少年に何か希望を与えるものでした。
また、悪い子供や体育教師などは「力」で周りの人々をコントロールしようとしますが、知性や知能で周りの人々をコントロールしてしまうところに中学生の私は魅力を感じていたと思います。
ただ、もちろん、M崎先生も完全に自由な言動が許されていた訳ではないことは明白です。反省すべきところはあったと思いますが、影響力のある人物であり続けて欲しいです。
最後に、M崎先生のような人材をうまく活用できれば、まだまだ日本も世界と戦っていけると思います。