今回は、心理学の本を読んで、人の心の構造について考えてみたいと思います。
心の構造
ユング心理学に基づく「心の構造」についての話は、河合隼雄(著)『無意識の構造(改版)』(中央公論新社, 2017)に分かり易く書かれています。
本記事は、この本を参考にしています。
ユング心理学では、心に傷を負ってしまった患者さんの夢の分析を通じて、人の心の深層心理つまり無意識を読み解くそうです。
そして、その無意識の部分を患者さんに意識化させることによって治療して行くそうです。
一方で、ユング(精神科医)は、その夢分析によって得た知見(データ)を基に、人の心をモデル化することを試みたそうです。
人の心のモデル化とは、未知の存在である「心」というものに対して、いくつかの仮説を立てて、心の構造や心の働きを上手く体系化すること、つまり、心の働きを体系的に説明できるものにすることです。
その本によると、人の心の構造は、次のようになっているそうです。
引用元:河合隼雄(著)『無意識の構造(改版)』(中央公論新社, 2017)
深層心理学では、人の心を、「意識の層」と「無意識の層」に分けて考えるそうです。
無意識は、意識的な統制力を越えた何らかの力が働いたものとして定義されます。
意識の層に存在するのが自我になります。自我につきましては次節で詳しく説明します。
無意識の層は、さらに「個人的無意識の層」と「普遍的無意識の層」に分けられます。
個人的無意識の層は、次のようなものから成るそうです。
- 意志に昇っていたが、忘れられてしまったもの
- 心のバランスを取るために心の奥に抑圧されたもの
- 意識に昇らなかったもの
- 不確かな感覚的痕跡
普遍的無意識とは、生来的なもので、人類一般に共通するもの(普遍的なもの)であるそうです。
「家族的な無意識」や「文化的な無意識」もこの層に含まれるそうです。
その本では、普遍的無意識がやや重点的に説明され行くことになります。
自我とは
自我は、人間の行為や意識の主体として定義されるものであるそうです。
自我の働きは色々あるそうですが、まずは次の2つのことが挙げられるそうです。
- 「外界の知覚」(=視覚や聴覚などを通じて外界を認知すること)
- 「内界の認知」(=自分の内的な欲望や感情を認知すること)
これら2つの働き(体験)は、記憶として体系化され脳内に保存されるそうです。
自我は、この記憶体系に基づいて知覚したものに判断を下していますが、その記憶体系は新しい知覚に基づいて改変されて行くものであるそうです。
また、自我は、意志決定だけではなく、運動機能とも結び付いており、自らの意志決定に基づいて、自らの体を動かすこともできるそうです。
また、自我は、外的な現実と内的な欲望や感情などを認知した上で、両者の間に大きい摩擦を生じないように適切な行為を選択し、遂行しているそうです。
また、自我には、統合性を有することが必要になるそうです。
なぜなら、一つのまとまった人格として存在するためには、その中に大きい矛盾をもつことが許されないからだそうです。
それゆえ、自我は、自分の統合性を保持するために、自分自身を防衛する機能も持つそうです。
防衛する機能とは、例えば、自分にとって嫌な事や都合の悪い事を忘れることです。
また、自我は、その存在をそのまま続行するために、新しい経験を取り入れるのを排除しようとする傾向を持ちますが、一方で、人の心全体としては、何か新しいことを取り入れて自ら変革しようとする傾向を持つそうです。
このような相反する傾向を有しているところが、心の特徴であるそうです。
この相反する傾向は、以前の記事でもご紹介させて頂きました。
コンプレックスとは
何らかの感情によって(主に恐怖のような負の感情によって)結び付けられている心的内容の集まりが、個人的無意識の層に形成されている時、その集まりをコンプレックスというそうです。
分かり易く言い換えると、コンプレックスとは、
- 心の中の「しこり」
- 感情的な「こだわり」
- 意識の働きの円滑性を失わせるもの
- 心の癌
- 何かを次々に連想して行く時にその連想の流れを断つもの
とも言えるようです。
コンプレックスは、はびこりだすと、意識の正常な働きを妨害したり、常識外れの変な行動を引き起こしたりするそうです。
しかし、何かに関して劣等であるということが、自分という存在の中に受け入れられている時、それはコンプレックスを作らないそうです。
(ただ、その受け入れには辛さも伴うようですが。)
逆に、例えば、子供の心が矛盾した二重の信号を無意識の内にキャッチする時、その子は自分の劣等性を、心の中にどう位置づけて良いのか解らなくなり、それが心の中にコンプレックスを作ってしまう原因になることもあるそうです。
ただ、劣等であると認識することを可能にしてくれる人の存在が、コンプレックスを解消する「劣等の認識」(劣等の自覚)に繋(つな)がるそうです。
つまりは、コンプレックスを解消するには、信頼できるセラピストを見つけなさいと言うことなのかもしれません。
また、何かのコンプレックスを共有することによって、親密な人間関係ができたように感じることも多いそうです。
強い劣等感コンプレックスをもった人達が何らかの集団を作る時、その集団に居る限り、自分のコンプレックスの存在によって脅かされることがないので、非常に居心地がよく感じられるそうです。
このような点に無意識であればあるほど、その集団の結束力は強く、簡単には抜け出しがたくなるそうです。
ゆえに、コンプレックスの解消は、その集団との決別をも含み、より困難なものになることもあるようです。
なお、その本では、コンプレックスは、意識が無意識の作用によって影響されていることを示す典型的な例として挙げられています。
イメージとは
心理学において「イメージ」という言葉には、次の2つの意味があるそうです。
- 「外界の模像」、つまり、視覚像という意味
- 「内界の表現」、つまり、記憶像、夢、ヴィジョン、主観的体験という意味
ただ、実際的には、個々のイメージは、この両者の中間にあって、内界と外界の両方からの影響を受けて存在しているものであるそうです。
その本によると、内的なイメージを絵に描いている内に、それが自然に変容したり、描いている間に変更したくなることがあるそうです。
これは、以前の記事で画家の方が言っていたことと一致します。
イメージ(=内界の表現)は、ある個人の内的な状態を、何らかの意味で反映している点に特徴があるそうです。
また、イメージの特性としては、次のことが挙がられるそうです。
- イメージは、直接に我々に働きかけて来る.
- イメージは、集約的に多くのことを一度に語っている.(解釈の必要性が出て来る)
- イメージは、何かのことを具象的に示す.(具象=具体的な形をもつこと)
- イメージは、多義的なものである.(どの意味を取るかは、その時の状況と本人の決断にかかっている)
つまり、イメージは、直接性、集約性、具象性、多義性などを有し、心的内容を我々に生き生きと伝えてくれるものであるそうです。
確かに、芸術の世界における絵画とは、そう言うものなのかもしれません。
さらに、ユングによると、イメージ(美術?)は生命力をもつが明確さに欠け、概念(言葉?)は生命力に欠けるが明確さをもつそうです。
その本では、人の無意識の探求に不可欠な素材としてイメージの他に「シンボル」という概念を持ち出しますが、それは非常に捉えにくい概念です。
ただ、我々の体験の言語化しがたい部分を生き生きと描き出してくれるものが、シンボル(=象徴)であるようです。
ユングによると、言葉やイメージはそれが明白で直接的な意味以上の何ものかを包含している時に、象徴的になるそうです。
また、シンボルは、無意識の側面を持っており、その側面は決して正確に定義づけたり完全に説明したりされないものであるそうです。
シンボルの具体例としては、「キリスト教の十字架」や「日本軍の日の丸」などが挙げられるそうです。
創造性
ちなみに、その本によると、創造的な心的過程には退行が必要であるそうです。
退行とは、心的エネルギーが「意識の層」から「無意識の層」に向かうことです。
心的エネルギーとは、心の中を絶えず流動しているか仮想上のエネルギー(=念や思い又は思念)です。
その本によると、全ての創造的なものには、相反するものの統合が何らかの形で認められるそうです。
両立しがたいと思われていたものが、一つに統合されることによって、創造がなされるそうです。
つまり、意識の層での解決しがたい矛盾や対立が無意識の層に入り、そこでいつしか矛盾の統合が起こる、そして、統合的なシンボルとして意識の層に顕現されて来るものが創造的な内容になるそうです。
芸術家が作品を生み出すためには、外見的には全く非建設的と見える行動に身を任せている期間(=無意識での統合期間)が、どうしても必要となるそうです。
元型とは
神話や昔話には、世界中に共通するパターン、つまり「共通のイメージ」が存在するそうです。
ユングは、それらのイメージの元となる型が無意識内に存在すると考え、それを元型と呼んだそうです。
元型は、以下の図ように普遍的無意識の層に存在します。
引用元:河合隼雄(著)『無意識の構造(改版)』(中央公論新社, 2017)
上図の「元型的心像」は、「元型的なイメージ」とも呼ばれ、元型の意識内における働きを自我がイメージとして把握したものだそうです。
「元型的なイメージ」は、普遍的無意識の層から個人的無意識の層を経て、自我のある意識層に達するので、個人のコンプレックス、文化、社会、時代などの影響を受け、様々な形で夢や表現の中に現れ出るそうです。
つまり、普遍的無意識の層にある元型は、人類に共通であっても、それが個人内の意識に現れる現れ方は、個人によって異なるものになります。
(次節のトリックスターの例を見て頂ければ、元型なるものの感じが掴(つか)めると思います。)
上図の元型から出ている5つの矢印は、一つの元型から派生するいくつもの異なる「元型的なイメージ」が意識層には存在することを意味しています。
夢の中に現れる様々な「元型的なイメージ」を通じて、その本質である元型を探ることができるそうです。
ただ、元型はあくまで人間の意識によっては把握しえない仮説的概念であるそうです。
研究の結果、ユングは「母なるもの」の元型が無意識の深層に存在すると考えるようになったそうです。
そして、ユングは「母なるもの」の元型を「グレートマザー(=太母)」と呼んだそうです。
さらに、同様にして、
- 「自分とは正反対なるもの」の元型を「影」
- 「自分を知恵で導いてくれるもの」の元型を「老賢者」
- 「いたずら者なるもの」の元型を「トリックスター」
- 「主体なるもの」の元型を「自己」
- 男性の心における「女性なるもの」の元型を「アニマ」
- 女性の心における「男性なるもの」の元型を「アニムス」
と名付け、患者さんの夢の分析・解読に役立てたそうです。
元型は、人間に生得的に存在しているものであるそうです。
また、元型は、明確な概念規定によって把握できるものではなく、あくまで隠喩によってのみ、その意味を知ることができるものであるそうです。
また、元型は、人類に共通なものとして仮定されるそうです。
元型とは、前回の記事でご紹介した共同幻想の核となるものなのかもしれません。
なお、ある「元型的なイメージ」が、一つの文化や社会を先導する象徴(シンボル)となり、その集団の成員の心的エネルギーを結集させることもあるそうです。
例えば、日本軍の「日の丸」は、民衆の士気を高めたり戦争に向かわせたりするための原動力(シンボル)になったようです。
それでは、「日の丸」の元型とは何なのでしょうか。
上の例で言うならば、「影」なのでしょうか、それとも「自己」なのでしょうか。
元型の例
グレートマザー
グレートマザー(=太母)は、「母なるもの」の元型で、基本的な特性として「全てを包み込む(包含する)」働きがあるそうです。
ただ、グレートマザーには、「肯定的な面」と「否定的な面」があり、
「肯定的な面」が出ると「養い育てる」という(夢の中での)現れ方になるそうですが、
「否定的な面」が出ると「呑み込む」という(夢の中での)現れ方になるそうです。
このようなグレートマザーの特徴を手掛かりに、患者さんの夢の分析を行い、患者さんの深層心理を明らかにして治療を行うようです。
グレートマザーに関する夢を見る患者さんは、現実においても、母親との関係に問題を抱えていることが多いそうです。
さもなければ、母性の問題を抱えているそうです。
影
「影」は、「自分とは正反対なるもの」の元型で、例えば、
- 控え目の人の場合は、攻撃的な面として
- 攻撃的な人の場合は、控え目な面として
患者さんの夢の中に現れ出るそうです。
「影」に関する夢を見る患者さんは、現実においても、「心の中での性格」と「実際の自分の性格」との間にギャップを抱えていることが多いそうです。
その本によると、自分の「影」と協力することができれば、思いがけない成功がもたらされることになるそうです。
ただ、「影」の存在を認め、それを自我に統合して行くことは、なかなか難しいことのようです。
例えば、治療では、夢の中で同僚に投げかけた自分の「影」を自分の方に引き戻して、自分の無意識にある傾向を認識し、それとどのように生きるべきかを考えるそうです。
この治療を「投影の引き戻し」と言い、人格の発展には必要なプロセスで、勇気を要することであるそうです。
トリックスター
トリックスターは、「いたずら者なるもの」の元型で、次のような様々な現れ方で患者さんの夢の中に(意識層に)現れ出るそうです。
- ある時は、策略に富むモノとして
- ある時は、変幻自在なモノとして
- ある時は、破壊と建設の両面を有するモノとして
- ある時は、波瀾を巻き起こすモノとして
- ある時は、新しい結合をもたらす英雄として
患者さんが、どの程度トリックスターの存在を許容しうるかによって、その患者さんがどの程度自ら改革し、進歩して行けるかを測ることができるそうです。
ペルソナ
ペルソナとは、社会的な役割を果たすための仮面のことであるそうです。
ペルソナは、何かの元型という訳ではないようです。
人間は、外界と調和して行くために、その人の役割にふさわしい在り方を身に付けていなくてはならないそうです。
外的環境は、個人に対して、色々な期待や要請をするため、人はそれに応じて行動しなくてはならないそうです。
例えば、「教師は教師らしく」「父親は父親らしく」と言った感じです。
人間は、外界に向けて見せるべき自分の仮面を必要とするそうです。
そして、各人が適切なペルソナを身に付けていることによって、社会は円滑に回って行くそうです。
なお、日常生活の中で、個人的な感情よりもペルソナの役割を優先させなければならない人は、「制服」を着ていることが多いそうです。
例えば、日本の企業の研究者が、作業着を着させられているのも、自分の研究ではなく会社のための研究をしてもらうためなのかもしれません。
ところが、ペルソナがあまりにも硬化して来ると、その人は人間としての味を失って非個性的な存在になって来るそうです。
また、外への適応が良過ぎるために、内的適応が悪い人も存在するそうです。
例えば、他者との付き合いに専念し過ぎて、自分の心を忘れてしまっている人は、それに該当するそうです。
アニマ
アニマは、男性の心の中における「女性なるもの」の元型です。
アニマは、男性に、感情、ムード、非合理的なものへの感受性、愛、物事に対する関係性などをもたらすものであるそうです。
また、アニマは、男性のインスピレーションや創造的な活動に関わり、規律を嫌うそうです。
アニマが肯定的に働くと、生命力や創造性の根源になるそうです。逆に、
アニマが否定的に働くと、ペルソナを破壊してしまうそうです。
アニマの魅力のために、社会的な地位や命さえも失うことがあるそうです。
逆に、ペルソナが強過ぎる人の心の中では、アニマが息絶えかかっているそうです。
実際に、社会的に高い地位を築いている人でも、家族からは「この人は感情というものを持っているのだろうか」といった目で見られていることがあるそうです。
また、アニマ像の発展(派生)の母胎となるのは、母親像であるそうです。
ゆえに、母親のもつ甘さ、暖かさ、子供を引き付けておく力などは、アニマの性質にも引き継がれるそうです。
一般に、男性はアニマ像を投影した女性と結婚し、それによってある程度のバランスを得て、男性として必要なペルソナを築き上げることに専念するそうです。
アニマはペルソナと対立するものであるだけに、アニマは男性に対して、弱さや馬鹿げたことを促(うなが)す面も持っているそうです。
一方で、アニマ体験を、自分のものとして統合しえた人は、より豊かな人生を生き、他者との暖かい関係を確立できるようになるそうです。
余談
以上は、その本に書かれている「アニマ」についての説明ですが、何を言っているのか今一良く分からないかもしれません。
ただ、四柱推命(陰陽五行説)を知っていると、その本の言いたい事は何となくは分かると思います。
私が考えるに、「アニマ」とは、四柱推命の「洩星(食傷)」と「印星」を合わせたもののことだと思います。
「ペルソナ」とは、四柱推命の「官星」のことだと思います。
「グレートマザー」とは、四柱推命の「印星」のことだと思います。
「トリックスター」とは、四柱推命の「洩星(食傷)」のことだと思います。
「影」とは、四柱推命の「自星(比劫)」や「冲」のことだと思います。
「アニムス」とは、四柱推命の「財星」のことだと思います。
四柱推命では、
- 「自星」は「自分や他者」を
- 「洩星」は「子供や才能」を
- 「財星」は「父親」を
- 「官星」は「組織や役割」を
- 「印星」は「母親」を
表します。また、
- 「財星」は「印星」を(つまり「アニムス」は「母性」を)
- 「印星」は「洩星」を(つまり「母性」は「トリックスター」を)
- 「洩星」は「官星」を(つまり「トリックスター」は「ペルソナ」を)
剋(こく)します、つまり、抑(おさ)え込みます、または壊します。
四柱推命の「通変星」(=自星・洩星・財星・官星・印星)や陰陽五行説の「五行」(=木・火・土・金・水)は、ユング心理学の言うところの元型なのだと思います。
ゆえに、「通変星」や「五行」の本質を言葉で一義的に定義することは難しく、意識層に現れ出た具体的な例(性質)で何となくその意味するところのものを理解するしかないのかもしれません。
ただ、逆に、四柱推命や陰陽五行説を、人の心の問題を解くために、つまり心理学に用いることもできるのかもしれません。
アニムス
アニムスは、女性の心の中における「男性なるもの」の元型です。
アニムスは、父親を基礎にしていて、ロゴス、理性、論理、識別、禁止、噛みつくことを意味し、意見や教育を好むそうです。
アニマは、エロスの原理を強調するものであるそうですが、
アニムスは、ロゴスの原理を強調するものであるそうです。
竹田青嗣(著)『哲学とは何か』によると、エロスとは、生き物がもつ、対象に引き付けられる「力」、あるいは対象が生き物を引き付ける「力」一般を指すそうです。
ロゴスとは、その本では、「言葉」「意味」「力」「行為」のことを指すようです。
なお、女性にとって、言語によって示される意見や思考などは魔法にも匹敵するほどの力を持っているそうです。
母性とアニムスの関係性が、女性の心の中に葛藤を生む原因になることが多いそうです。
つまり、アニムスを発展させることは、母性を殺すことであり、母性を受け入れることはアニムスを殺すことのように感じられるそうです。
母親との関係が良い女性は、母親に反発しようとしながらも、現実には母の良さを認識しているので、アニムスを受け入れつつ、母性を否定することなく共存をはかる生き方を見出して行くそうです。
なお、その本によると、「自我と影」、「ペルソナとアニマ」、「母性とアニムス」など、人の心の中には対極性(対立する極)が存在し、それらの間に相補的な関係が存在しているそうです。
例えば、内向的な人と外向的な人が、案外に良い友人であったり、夫婦であったりすることは多いそうです。
自己とは
その本によると、人間の意識は、自我を中心として、ある程度の統合性と安定性を持っているそうです。
その安定性を崩してさえも、常にそれよりも高次の統合性へと志向する傾向が、人間の心の中に存在すると考えられるそうです。
そこで、ユングは、意識も無意識も含めた心全体の統合の中心として「自己」の存在を仮定するようになったそうです。
引用元:河合隼雄(著)『無意識の構造(改版)』(中央公論新社, 2017)
ユングによると、意識と無意識の相補的な働きに注目する時、全人格の中心は、自我ではなく、自己になるそうです。
自己は、心の全体性であり、また同時に心の中心であるそうです。
ただ、自己は、あくまで無意識内に存在していて、意識化することの不可能なものであるそうです。
自己は、自我と一致するものでなく、自我を包含するものであるそうです。
なお、自己実現とは、自分個人だけのことではなく、他の人々との繋(つな)がりを有するものであるそうです。
実際に、患者さんの治療においては、他者との関係の改変や対決を迫られることが多く、他者と無関係に、自分だけが成長をはかることは不可能に近いそうです。
一方で、自我は、ただ自己の働きを意識化することができるだけの存在であるそうです。
また、自我は、無意識と明確に区別された存在として、意識の中心として確立したものとも言えるそうです。
この自我に対する考えは、西洋的で、東洋ではこのような捉え方はしないそうです。
ユングは、心の中心は、自我ではなく、自己にあると繰り返し主張したそうです。
ユングは、意識の層にある自我だけでは説明できない症状もあることに気付き、無意識の層の自己とも結び付けて考える必要性を感じたようです。
自我と自己:西洋と東洋
東洋人の主体(自分)は、西洋人ほどに確立されたものではなく、意識と無意識とを通じて生じて来る、ある漠然とした全体的な統合性のようなものであるそうです。
日本人の自我は、無意識から独立した存在として確立されておらず、自己との漠然とした結び付きの中で安定しているそうです。
ゆえに、日本人は、個人主義的という訳ではなく、全体主義(=全体の利益を第一とする主義)のような傾向をもつのかもしれません。
逆に、西洋人の場合は、自我と自己が完全に分離されており、むしろ、それらを結ぶ仲介者としてアニマ・アニムスを必要とするそうです。
つまり、西洋人は、意識層の自我が心全体を完全に支配していると言う考えに囚(とら)われて過ぎているようです。
その考えには、一切の隙(すき)がなく、物事を常に黒か白に区別する意識が強まり、個人主義的な傾向をもつようです。
なお、ユングは、東洋の知恵を取り入れることによって、西洋の自我に対する考えを改善しようとしたそうです。
東洋人は、意識層の自我だけが心全体を支配している訳ではなく、無意識層にも心を動かす力(自己)があると何となく思っている節があるようです。
この考えは、物事を明確に区別しない無差別の意識に繋(つな)がるようです。
しかし、この無差別の意識は、主体性の無さや無責任性にも繋がってしまうそうです。
おまけ:対立物の合一
その本によると、「人の創造性」や「自己の世界観」をも含む「人の心の問題」において、「対立する物同士の合一」というのが、問題解決のための重要なカギになるようです。
ここで、合一は、以下の単語でも言い換えられます:
「合一」=統合、統一、混合、共存、和合、協力、調和。
ただ、その本によると、「対立物の合一」というのは、簡単にはできないことであるそうです。
また、その合一には、「時」が関係しているようです。
つまり、その時が来ると、偶然が動き出し、心の中の対立物が変形するようです。
変形した結果、その人の状況が、良い方向に進むのか、悪い方向に進むのかは、不明であるようですが、その人の状況が変わることは間違いないようです。
なぜそのような「時」が存在するのかは、まだ解明されていないようです。
ここで、「全ては繋(つな)がっている」と仮定してみると、一見したところ因果関係が全くなさそうな物事の間にも、実は繋がりがあることになります。
ユングは次の繋がりに関心を持ったそうです。
例えば、ふと、ある人のことが気になりその人について思いを巡らしていると、その人からたまたまmailが来たと言うような「繋がり」です。
人間の認知は、その繋がりの複雑な因果関係を把握できません。
例えば、その繋がりは、人間には認識しづらい三体問題的なもの(複雑な多体相互作用の問題)に関係していると考えることもできるかもしれません(バタフライ効果?)。
いずれにしても、人間には上手くその因果関係を説明できないものが、実は存在しているとすると、上述の「時」は、人間には「偶然」という言葉で解釈せざるを得ないものなのかもしれません。
ちなみに、ユングは、正夢(まさゆめ)のような「意味のある偶然の一致」を重視して、「共時性(シンクロニシティ)の原理」なるものを考え出したそうです。