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論理的思考では辿り着けないアイディア + 実行力 = 強い独創性 ?

対称性

今回は「理論系研究におけるオリジナリティ(独創性)とは何か」を私なりに考えてみたいと思います。

これまで私は理論系の研究をして来きましたが、次のことに気が付きました。

  • 論理的に思い付く研究は誰にでも思い付く
  • 論理的思考では辿り着けないアイデアが含まれている研究は誰にでもできる訳ではない

例えば、数学や物理学の教科書にも、自分でも考え付いたのではないかと思われる定理もあれば、なぜこのようなことを思い付いたのか見当もつかない証明や内容もあると思います。

なお、今回の記事の背景には、ビジネスや教育の世界で最近「論理的思考力」が重視されていることがあります。「本当に論理的思考力はそんなに大切なのか」を理系研究の例を挙げ検討してみたいと思います。

論理的に思い付く研究

論理的に思い付く研究というのは、論理的なので誰にでも考え付くことができます。例えば、私の研究分野(計算物質科学系分野)では

既存の方法Aと既存の方法Bを組み合わせて、両者の利点をもつ方法Cを開発する研究

がよく行われます。組み合わせること自体が難しい場合もありますが、基本的アイデアは組み合わせなので、誰にでも考え付くことはできます。

このような研究は遅かれ早かれ誰かにやられてしまう研究なので、あまり独創的とは言えない場合も多いと思います。

私の分野では、このような研究は高く評価される場合もありますし、あまり評価されない場合もあります。「組み合わせ」がうまく行って有用であることが認められれば、評価されるのだと思います。

この「組み合わせ」のアイディアに基づく研究の応用として、

他分野の方法を自分の研究分野に適用する研究

というのも私の分野ではよく行われます。他分野の方法に精通している必要があるので、誰にでも思い付く研究ではないと思いますが、論理的思考で辿り着ける研究だと思います。

私の分野では、他分野の方法を取り入れた研究は高い評価を受けることが多いです。高い評価を受けた研究だけが生き残っているため、そう感じるのかもしれませんが。ただ、そのような研究が私の分野の最も根本的な問題を真に解決しているのかと問われれば、そうとは言えないところです。

論理的思考では辿り着けない研究

論理的思考では辿り着けないアイディアが含まれている研究というのは、やはり誰にでもできる訳ではないと言うのが特徴です。つまり、目的を達成するまでの道筋・方法が一般的には確立されていないので(又は不確定要素が多く含まれているので)、論理的思考以外の要素が重要になって来ると思います。

また、誰にでもできる訳ではないので、それだけ価値があると考えられることが多いと思います。

論理的思考では辿り着けないアイディアが含まれている研究の例として、私が思い付くものは

既存の方法を改良してより精度の高い方法やより汎用性の高い方法を開発する研究

です。このような研究では既存の方法における障壁を打ち破るアイディアが必要になると思います。そのようなアイディアは単純な論理的思考では出て来ないものです。ただ、もともと既存の方法に理論的落ち度があった場合は論理的思考で何とかなることもよくあります。

私は、ある国際的に評価を受けていた開発者の方に「どのようにそのようなアイディアに至ったのか」を尋ねてみたことがあります。その方は「ある式とある式の類似性に着目した」と教えてくれました。その時は「そんなものなのかなぁ」と思うことしかできませんでした。

理論系の論文を読んでいても「なぜそのような発想に至ったのか」が見当もつかないことがごく稀にあります。論文にはそのような発想に至る経緯などは書いてないので、なるでマジックでも見たかのような不思議な気分にさせられることが私はありました。

私の分野で私が最も強い独創性を感じる研究は、

自分のアイディア1つで全く新しい方法を1から築き上げてしまう研究

です。このような研究ではたとえアイディアが浮かんでも最終的な数式にまで持って行くには、かなりの論理的思考力(整合性を取ること)や数学力(導出力や計算力)が必要になると思います。

ビジネスの世界ではアイディアが浮かぶことはよくあることのようですが、そのアイディアを実現する・カタチにするには、やはり経験や情熱に基づく強力な実行力が必要になるのと似ているかもしれません。

もちろん、この研究の場合でも、そのアイディアは論理的思考で出て来たものではありません。「閃いたアイディアを試してみたら、たまたま全てがうまく行った」と言うようなことが実際にあるようです。逆に、「理論的に妥当でうまく行きそうだと思っていたことでも、実際にやってみたらうまく行かなかった」と言うこともあると思います。

論理的思考では辿り着けない研究をするには?

それでは、論理的思考では辿り着けない研究をするには、どうすれば良いでしょうか。

私のような者が申し上げるのも申し訳ないのですが、私が思い付くことは次のようなことです(私の研究分野での話になります)。

  • 時間を惜しまず、日頃から自分で考える(自分で論文中の数式を導出するなど)
  • 試行錯誤する(自分で数式を色々と変形してみるなど)
  • 点と点を繋げる発想を忘れない(一見異なるものの中に共通点を見出すなど)
  • 失敗から本質に迫る(疑問点や論理的欠損をそのままにしないなど)
  • 他人のマネをしない(誰も使ったことのない数学を使ってみるなど)

私はこれまでの研究の中で一度だけ理論的発見をしたことがあります。あまりご参考にはならないと思いますがその経緯を述べますと、ある論文で重要な「考え方」を学んで、その「考え方」を念頭に置いて、少し違う理論である数式を変形していたら、少し違う理論でもその「考え方」を反映する興味深い数式が導けたという感じです。

つまり、ある視点から見ると、一見無関係に思われた2つの理論の中にも共通する部分があり、片方の理論で成功した手法をもう一方の理論にも適用できたと言うことになります。

私としては点と点を繋げるような理論的発見ができたと勝手に思っています。

実験系でも理論系でも「発見」というのは、論理的思考だけでは到達できないことが多いので、価値あるものだと思います。

なお、理論系の大発見の場合、その「発見」は理論的美しさや理論的エレガントさに関係していることも少なくないです。

そのような「発見」をするには、ありきたりな個人的考えになりますが、失敗しながら本質を学ぶことを心掛け、同時に論理的思考で無駄を回避したり一貫性や整合性をチェックしながら、地道に挑戦を続けるしかないのかもしれません。