ヨーク研究所
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研究者のなり方

研究者の顔付きや行動原理について

今回は、研究者の顔付きや行動原理について考えてみたいと思います。

職業顔とは

職業によって、その職業によく居そうな顔、つまり職業顔があるようです。

例えば、アナウンサーと言えば、このような感じの顔、航空機のパイロットと言えば、あのような感じの顔と言うように、職業ごとにその職業らしい顔や雰囲気があるようです。

職業顔とはまた違うと思いますが、確かに、鰻のような鰻屋さんや猪(いのしし)のような猪猟師さんはいらっしゃるような気がします。

ビジネスマンと研究者の顔付き

研究者にも研究者ぽい顔があるのかもしれません。

例えば、物理学系の研究者は、メガネにやや真面目そうな顔(勉強好きそうな顔)をしていることが多いかもしれません。

そして、私はビジネスマンの顔付きと研究者の顔付きはかなり違うと感じています。

私は、普段、研究者の顔ばかりよく見ているので、たまに一流ビジネス街に行くと、ビジネスマン独特の強烈な雰囲気・顔付きに圧倒されてしまうことがあります。

大学に所属している研究者(大学教員含む)は、学生と交流することが多いためか、比較的柔らかい顔をしていることが多いような気がします。

一方で、一流ビジネス街のビジネスマンは、何かピリッとしたモノを感じます。何かエリート意識みたいなモノが出てしまっている方もいらっしゃいますし、百戦錬磨の叩き上げで何かが剥(む)き出しになってしまっているような方もいらっしゃるような気もします。

そのようなギラギラしたビジネスマンと比べると、研究者はややボーッとした顔または遊び心がある顔をしているような気がします。

確かに、流行りのビジネスマンカットとタイトな身なりで自己優位性を振りまきながら歩いている理系研究者は滅多にいません。

この顔付き・雰囲気の違いはどこから来るのでしょうか。

日本の研究者は研究以外の仕事が多いとは言え、自分の好きなこと(好奇心主導型の仕事)をしているので、顔付きも比較的満足度が高そうな顔をしているのかもしれません。

さらに、研究者は、お金では動かないタイプが少なくないような気がします。

一方で、ビジネスの世界は、会社や組織またはお客さんのための仕事(つまり利益目的の仕事)が多いためでしょうか、厳しい顔付きになってしまうことも多いのかもしれません。

研究者の二つの顔

ただ、研究者でも、「大学の研究者」と「公的研究機関の研究者」とでは顔付きや雰囲気が異なることが多いような気がします。

公的研究機関の研究者は、学生と交流する機会が少ないことが多いです。

そのためか、「大学の研究者」の比べると、柔らかい顔・雰囲気をしている方の割合が少ないことが多いような気がします。

また、公的研究機関の施設全体がやはり大学の雰囲気とはかなり違います。

大学は何やかんや学生がいるので華やかなところがありますが、公的研究機関には華やかさはありません。大人の本性が滲(にじ)み出てしまっている世界という感じです。

これは私だけが感じていることではなさそうで、知り合いの研究者も同じようなことを感じているようでした。

余談:恐怖の不自然現象

全ての公的研究機関がそうではないと思いますが、ある機関に所属している時に色々と「不自然さ」を感じることがありました。

例えば、私がその機関に所属して間もない頃、私の自転車が倒れていることがありました。

最初は、たまたま倒れてしまったのだろうと思いました。

しかし、二日目も私の自転車だけ倒れていたのです。大学に所属している時は、このように不自然に自転車が倒れていることはありませんでした。

自転車をとめる場所を変えると、倒れていることはなくなりました。誰がどこに駐輪するべきかに関する「暗黙のルール」のようなものでもあったのでしょうか。

また、私はその機関の資料室のような部屋を時間外に利用することがありました。

誰も居ないので、落ち着いて研究できると思いました。私の研究はノートパソコンがあれば十分研究できます。

ところが、誰かがその部屋に入って来ました。もちろん、時間外でも利用できるようになっているので、誰かが入って来ることはあると思います。

ただ、誰も居ないのでこれは良いと思い、その部屋を利用しようとすると、必ず誰かがやって来るのです。不自然だと思いました。監視でもされているのかという気分になりました。

表向きは時間外でも利用できることになってはいるが、「暗黙のルール」で時間外は利用するべきではないと言うことなのでしょうか。

また、その機関では不自然なほど工事が多かったです。つまり、いつもどこかで工事がありました。本当にそこを工事する必要があるのかと疑問に思うこともありました。いわゆる「大人の事情」による工事なのでしょうか。

話が少しズレますが、その機関の近所のスーパーを利用したことがありました。何か多数のピラニアが小さな肉片に群がるような殺伐とした雰囲気を感じました。

たまたまかもしれないと思いました。そこで、知り合いの研究者に尋ねたところ、やはり同じような「殺伐さ」を感じていました。

お金で動かないポスドクを動かす方法

巨額研究費を獲得して、せっかくポスドク(=若手研究者)を雇っても、上手くポスドクを動かせない教授もいらっしゃいます。

そのような教授は、「人はお金で動くもの」と思っている節(ふし)があります。

お金を払っているのだから、私の言うことは何でも聞きなさいという態度を露骨に示してくる教授もいらっしゃいます。

また、そのような教授は言うことを聞かないと、嫌がらせをしたり、重要なことは何一つ教えなかったりします。

確かに、社会常識としては、給料を頂いているので、上司の言うことに従うのは当然のことなのかもしれません。

しかしながら、研究者はお金が欲しくて研究者をやっている訳ではないことが少なくないです。

特に、若い有能な研究者は、お金よりも何よりも、未解決の謎めいた研究課題に全力で挑戦したいものなのだと思います。

その辺にズレがあると、そのような教授には、お金で動くタイプのポスドクしか集まらず、結局のところ、飛び抜けて良い成果も生まれないのだと思います。

それでは、お金で動かいタイプの有能なポスドクを動かすにはどうすれば良いのでしょうか。

そもそも、そのようなタイプのポスドクは、研究以外のことはやりたがらないところがあります。

確かに、海外では、ポスドクに研究しかさせないことが多いと思います。逆に、日本に海外から来たポスドクも基本的には研究しかしないことが多いと思います。

ゆえに、そもそも、ポスドクに「研究以外のこと」をさせようとすることに無理があるのだと思います。

ここで、「研究以外のこと」とは、その研究室の学生の面倒を見ることだったり、計算機などの管理だったり、教授の授業のサポートだったり、その他教授がやってもらいたいと考えていることです。

すばり、有能なポスドクを動かす方法は、教授自身が超有能な研究者であることだと思います。

有能なポスドクは、超有能な教授からなら何でも学びたいものなのだと思います。

言い換えれば、教授の一挙手一投足を見逃さず、全てを吸収したいものなのだと思います。

ただ、もちろん、威張ってるだけでは、有能なポスドクは付いて来ません。時折、その教授の有能ぶりを研究において見せつけてやる必要があると思います。

例えば、研究ミーティングなどで、教授のあの指摘は確かに鋭い、自分一人では思い至らなかったと思わせる必要があります。(困難を共に乗り越えようとする姿勢)

または、自分にはない高度な知識(高度な数学)、本質を突く発想力、途轍もない研究への情熱をもっていると感じさせる必要があります。

つまり、自己の成長や優れた研究成果を出すためには、教授の存在が不可欠であると思わせることが大切なのだと思います。

なお、「無能な教授には有能なポスドクは寄り付かない」という言葉(噂話)がありますが、その通りなのだと思います。

結局のところ、無能な教授のところに有能なポスドクがやって来ても、その有能さを伸ばすことはできませんし、足を引っ張られるだけになってしまう(場合によっては潰されてしまう)ことが多いのではないかと推測します。

余談:バブル時代に教員になった教授たち

経済の世界では、日本の景気がとても良かった時代(1985~1991年)に企業に就職した世代のことをバブル世代というようです。

バブル世代の方々は、日本経済が非常に盛り上がっていたこともあり、華やかで、要領が良く、羽振りがよい方が多いようです。

また、大変豊かな時代に社会人になっためか、仕事に対しては「甘い」または「ゆるい」ところもあるようですが、会社への忠誠心は高いようです。

研究者の世界でも、ある分野では、バブル時代あたりに大学教員になられた教授たちは、他の世代の教授たちとは少し異なるところがあるような気がします。

つまり、その時期ごろに教員になられた方々は、何となくですが、研究よりも研究以外のことが得意なような感じがします。

悪い言い方をすれば、研究能力はあまり高くない方々が少なくないような気がします。

ただ、研究分野によっては、良い成果がたくさん出る時期とそうでない時期がありますので、一概に研究能力が高くないとは言えませんが。(ここで、研究能力とは多くの論文を発表する能力というよりは、俯瞰的・長期的に見てその分野の進歩・発展に貢献できたかどうかです。)

さらに、その教授たちは、研究能力があまり高くないためか、優れた次世代の研究者を育てることが苦手なような気がします。

つまり、保身的なその教授たちからは、飛び抜けて優れた若手は生まれにくいのだと思います。

言い換えれば、その教授たちは、自分に都合の良い若手(又は組織に忠実な若手)だけを大学に残してしまうところがあります。その分野全体の学術的な成長・進化などはあまり考えていないことが多いような気がします。

ただ、飛び抜けて優れた若手が育ちにくいのは、そのような教授たちだけが悪い訳ではなく、大学に対して支配的な文部科学省の責任や日本経済の低迷の影響も大きいと思います。