ヨーク研究所
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科学

数学の本質的部分を探る

今回は、数学の本質的部分など「大学の数学」について色々と調べてみました。

数学に関する私の勘違い

ある数学者の方が運営されているブログYouTubeを拝見させて頂いて、私は数学に対して色々と勘違いをしていたと思いましたので、まずその勘違いを具体的に紹介して行きたいと思います。

大学での数学には理論的面と計算的面がある

大学での数学は、高校までの計算中心の数学と違い、数学理論のための数学があるようです。

つまり、大学での数学には

  • 理論的面
  • 計算的面

があるようです。

例えば、線形代数では、

  • 線形空間や線形写像などを扱う部分が数学理論の面で、
  • 行列積や逆行列の計算、固有値問題の計算などを扱う部分が計算的面になる

と思います。

アメリカの大学では、大学1年生はまず大学数学の計算的面を勉強して、次に理論的面を勉強するようです。

また、大学での数学は、次の2つに分類されることもあります。

  • 純粋数学
  • 応用数学

純粋数学は数学理論の構築や数学自身がもつ課題や問題に取り組む数学で、応用数学は純粋数学の知識をより具体的な対象(工学や金融など)に応用した数学であると言えそうです。

数学者は若い時に活躍する訳ではない

私はこれまで「数学者の方は若い時に優れた研究をする」と思っていました。つまり、「数学者は若い時(20代や30代)が勝負である」と思っていました。

しかしながら、そういう訳ではないようです。

現代数学の研究では、研究の積み重ねが非常に大事で、多くの積み重ねをしてきた数学者が優れた研究成果を残すようです。

しかしながら、若さは、本当に優れた研究成果とは関係ないのでしょうか。

確かに、40歳くらいから大学院で本格的に数学を学び始めた方が、優れた研究成果を出し、数学者になった例もあるようです。

また、服役中の40歳の囚人が数学に目覚め、独学で数学の基礎を学び、ついには数学者が解くような数学の難問に取り組んだところ優れた成果を出したそうです。

なお、上記のブログによると、若い時に功績を上げる数学者は例外で、多くの数学者はそうではないそうです。

私の分野(計算物質科学系分野)でも、自分で研究できるようになって、さらに周りの研究者から認められるようになるには、かなりの時間がかかります。博士号を取れば良いという訳ではない感じです。

数学オリンピックで活躍しなくても優れた数学者になれる

「数学オリンピックでの活躍具合」と「数学者としの活躍具合」は別物のようです。

つまり、数学オリンピックで好成績を残した方がさらに選抜されて数学者になる訳ではないようです。

数学オリンピックに出場できなかった方が、優れた数学者になる場合もあるようです。

つまりは、数学オリンピックや大学入試での数学は、数学者が取り組んでいる純粋数学ではなく、数学を使った思考ゲームのようなところがあるようです。

確かに、高校数学が得意だった人でも、大学での数学は好きになれないことは日本ではよくあることだと思います。

さらに、大学や大学院での成績がずば抜けて優秀だった方でも、数学者として生き残れる訳ではないとのことです。

数学者への道はとても長いので、その間に要求される能力も変わり、ハマったりハマらなかったり、向いていたり向いていなかったり色々なことがあると言うことみたいです。

私の分野でも、学生時代から優れた賞をとり、研究者としても優れた賞をとっていた方がなぜか研究の道を去ってしまった例があります。

研究者としてずっと走り続けることに飽きてしまったり向いていなかったりする方もいるのかもしれません。

数学者に共通するコト

数学者に関連する記事を読む中で分かったことは、次のことです。

  1. 数学者は、問題や課題に対して粘り強く考え続けることができる.
  2. 数学者は、問題や課題の本質を見抜くことに優れている.

なお、長い間一つの問題を粘り強く考え続けていると、ある時突然、解決法を閃(ひらめ)くことがあるようです。

私の分野でも、1つの研究テーマまたは1つの研究分野に長く取り組んでいる方が多いです。1つの研究テーマが解決しない内に、色々な研究テーマに手を出すのは良くないのかもしれません。

また、私の分野でも、研究対象の本質を掴むことは非常に大切だと思います。

私の分野では、そもそも解析的には解けない微分方程式を扱っているので、いかに本質を突いた近似を考え出すかが勝負になります。

実際に、実用的な量子コンピュータが開発され、私の分野の計算にうまく適用されてしまったら、中途半端な近似法は必要なくなると思います。

ゆえに、私の分野でも、他と同じような研究や流行りの研究をするのではなく、本質を考え抜いた研究をすることがとても重要になるのだと思います。

本質を突いた研究に、研究者は「鮮(あざ)やかさ」のようなものを感じている気がします。

なお、数学者は、数学の真理に美しさを見出していることがあるようです。

純粋数学における研究方法

純粋数学を研究されている数学者の方は、どのように研究を進めているのでしょうか。

ある記事によると、数学者の方は、問題を解いている訳ではないようです。

まず、大小関係、数と数の距離、四則演算のような演算といった数学的構造に着目し、そう言った構造をもつ集合を研究対象にするそうです。

そして、研究では、数学的に興味深い構造をもつ集合を探したり、そのような集合が共通にもつ性質や異なる集合の間の関係を調べたりしているようです。

そのような調査を積み重ねることで、数学的な真理や数学的な普遍性の発見・構築に繋げて行くようです。

また別の記事によると、研究対象に対してあることが成り立っているはすだと予想し、その予想を長い時間をかけて証明していく研究スタイルもあるようです。

応用数学における研究方法

応用数学の研究方法にも色々なやり方があると思います。ここでは、ある記事に載っていた方法を参考にしながら典型的な研究方法の1つを紹介します。

  1. まず、研究課題に関する情報を集めます.
  2. 次に、それらの情報から課題を解決するための方針や仮説を立てます.
  3. 次に、その方針や仮説に基づき、理論やモデルを組み立てて行きます.
  4. 次に、構築した理論やモデルを使い、課題の解決に向けた計算を行います.
  5. 次に、計算結果の有効性を検証する事で、方針や仮説の正しさを明らかにします.
  6. そして、仮説と検証を通じて明らかになった事から課題の解決を図ります.

ここで、研究課題とは、例えば、ある自然現象や社会現象の解明だったりします。

なお、情報(データなど)から方針や仮説を立てる際に、本質を見抜く力が重要になるようです。

私の分野での理論開発も、関連する理論の調査や長い研究経験から直観的にアイディアや方針を打ち出し、新しい理論を構築して行くところがあります。

そして、その新理論を使って得た計算値は、実験値や他の計算値と比較され、新理論の計算精度や計算スピードが検討されます。

なお、私の分野では、理論の構築とその検討を繰り返している段階で、大元の自然現象の解明はまた別の分野という感じになっています。

認知科学的に言うと「数学とは何か」

『数学の認知科学』によると、数学というのも、人間の脳が作り出したもので、人間の認知機能を越えて、何か唯一絶対的な数学というものが客観的に宇宙に実在している訳ではないとのことです。

また、その本によると、数学的概念の多くは、日常生活での具体的な物事の概念化および抽象化により得たものであるようです。

実際に、認知科学によれば、「人間の抱く概念や人間の推論は、そのかなりの部分が日常的な身体の経験に基づいて形作られている」そうです。

さらに、その本によると、そのように形成された数学的概念は、概念メタファーによって、構造化されるようです。

ここで、概念メタファーとは、簡単に言えば、抽象的なものを具体的なものによって理解することです。

例えば、数を直線上の点として捉えたり、数を集合として捉えることが概念メタファーの例になります。

このような概念メタファーのおかげで、数学のある分野における知識を、別の分野における推論にも使用できるようになるようです。つまり、これが著者らが言う構造化なのだと思います。

この構造化の結果として、数学は驚くほど豊かになるそうです。

そして、現代の数学は、メタファーにメタファーを幾重にも積み重ねて成り立っているそうです。つまり、数学の中の色々な分野の知識は、複雑に結び付いている又は絡み合っているということでしょうか。

なお、概念メタファーは数学的思考の本質的部分を占めているそうです。

数学と物理学

それでは、なぜ数学は自然現象を体系的に記述するのに、これほどまでに役立つのでしょうか。

微分積分のように物理現象を研究する中で生まれた数学もありますが、純粋数学として数学者が研究していた数学が、物理学で利用されることもあります。

このような理由から、数学それ自体が宇宙の物理的構造に組み込まれているのではないかと考える学者もいるようです。

しかし、その本によると、人間の数学が人間の頭の中以外に存在するという議論は科学的ではないとのことです。

ゆえに、数学と現実世界との間のいかなる「合致」も、結局のところ、数学と現実世界をうまく組み合わせて来た科学者たちの頭の中で起こっていることで、認知科学的にはそれ以上のことは何も言えないということのようです。