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科学

複雑系科学の視点から「生命システムの始まり」について考える

今回は、複雑系科学の本を読んで、生命システムが形成されるプロセスやその原理について考えてみたいと思います。

生命システムの形成

松岡正剛(著), 津田一郎(著)『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(文藝春秋, 2023)では、生命システムが形成されるプロセスについて議論されています。

本記事は、この本を参考にしています。

生命誕生までの流れ(仮説)

その本によると、生命の起源の大元(おおもと)は、「熱の流れ」があることであるそうです。

この「熱の流れ」のことを、その本では「カルノー・サイクル」という熱力学の用語で表現しています。

「カルノー・サイクル」とは、簡単に言うと、外に対して仕事をする「エンジン」のような物(システム)であるそうです。

つまりは、「循環している熱の流れ」のことだと思います。

この「熱の流れ」が、生命の起源の大前提になるそうです。

この「熱の流れ」は、言わば、「活性化された場」であり「混沌とした場」であり「カオス的な場」であり「分子や原子でごった返した場」であるとも言えます。

数理モデルを使った研究によると、脳のようなネットワークシステムに、ある拘束条件をかけると、そのシステムが整って行く(組織化する)際に、システムから(ニューロンのような)部品が生まれるそうです。

つまり、上述の「分子や原子でごった返した場(システム)」に、ある拘束条件(物理的な環境の作用)が加わると、システムが整って行く際に、タンパク質や核酸のような大型分子が生まれる可能性があると言うことになります。

そして、これらの大型分子が偶然にも「分子の袋」に取り込まれ、その「分子の袋」が外の物を取り込み、中の物を吐き出すという流れを作り出したならば、その「分子の袋」は「非平衡な開放系」と呼ばれる物になります。

「非平衡な開放系」では、系内と系外との間で物質やエネルギーの流れがあるため、系内において動的な秩序構造が生まれるそうです(散逸構造)。

さらに、「袋」(膜)という拘束条件があるために、部品を生むことができ(特殊な化学反応も進み)、それらの部品が散逸構造のために秩序化する、つまりはそれらの部品が自己組織化するようになるそうです。

さらに、系内や系外から何らかの拘束条件がその「分子の袋」にかかったならば、その「分子の袋」は進化することになるそうです。

そして、最終的に、その「分子の袋」は「生命システム」つまりは「細胞」と呼ばれる物になって行ったのではないか、と言うことのようです。

ここで、拘束条件とは、例えば、次のような物のことを指しているようです:

偶然性、環境的な制限、環境の変化、分子が重なり合う順番、化学反応の順番、分子同士の位置、分子同士の場所の配置、分子同士の関係性(相互作用)、エネルギーや情報量を最小または最大にする条件(ここで情報量は信号の複雑さ・乱雑さの様なもの)。

相反する2つの作用

以上の生命形成プロセスにおいて、ポイントとなる思われるのが、上述の「システムが整って行く際に」と言う条件です。

高温であろう「活性化された場」は、分子や原子でごった返しているので、ある意味で秩序立っており、そこから更なる秩序立った物はできにくい状況であると言えます。

秩序立った物を作るには、冷やす、つまり、分子や原子でごった返した状態(力だけがある状態)を発散させる必要があると考えられます。

つまり、何らかのシステム(やサブシステムまたは部品)が整って行くためには(形成されるためには)、

  • 「活性化した状態」(矛盾や対立した状態)と
  • 「それを冷やして行く加工過程」(整理整頓)

の両方が必要になることが推測されます。

実際に、その本でも少しだけ触れられていますが、相反する2つの作用、つまり「興奮反応」と「抑制反応」の行ったり来たりの繰り返しによって、機能の生成(つまりはシステムの形成、新たな創造物の生成)が進むようです。

従いまして、やはり「相反する2つの作用」と言うのは、新たな物が生成される際の原理的な働きになり得そうです。

また、上述の「エネルギーや情報量を最小または最大にする条件」も実は「相反する2つの作用」の別表現なのではないかと予想されます。

なお、創造的な物が生まれる原理につきましては、以前の記事(その1その2)でも取り上げさせて頂いておりますので、そちらをご覧になって頂くと理解が深まるかもしれません。

なお、生命誕生のプロセスにつきましては、以前の記事でもご紹介させて頂きましたので、そちらも参考にして頂ければ幸いです。

数学と認識

その本によると、意識と意識以外のものを繋(つな)ぐ役割が数学にはあるそうです。

つまりは、数学は内界(意識)と外界(外の世界)を繋ぐ役割をしてくれると言うことでしょうか。

確かに、数学は物理学において自然現象を表現(記述)するために使われています。

なお、何かを表現すると言うことは(計算・証明すると言うことは)、身体運動に関わることになるそうです。

数学的な閃(ひらめ)きをするには身体の運動が必要と言うことなのでしょうか。(その辺のことはその本には詳しくは書かれていませんでした。)

また、その本によると、人間の基本的な認識構造として「同定」と「区別」があるそうです。

「同定」とは、これとこれは同じと認識すること、

「区別」とは、これとこれは違うと認識することであるそうです。

これらの認識ができるからこそ、人間は1冊、2冊、3冊と本の数を数えられるそうです。

そして、人間の認識の構造を抽象化したのが、代数であるそうです。

ゆえに、代数は全ての数学の基本であることは間違いないそうです。

幾何学をやろうと解析学をやろうと応用数学をやろうと、どんな数学をやろうと、代数的なものがその根底にあるそうです。

また、具体的なものを記号で置き換えて抽象化すると言うことは、「情報の生成」という意味を持つのだそうです。

例えば、犬をA、小鳥をBと言うように置き換えただけでも、一旦記号に置き換えて抽象化すると、何でもその記号に入れてしまえるようになるそうです。

つまり、Aには特定の犬(柴犬)という意味だけではなく、哺乳類という意味を持たせることができるようになるそうです。

一方で、Bには特定の小鳥(スズメ)という意味だけではなく、鳥類という意味を持たせることができるようになるそうです。

つまりは、「置き換え」には、具体的な事柄から抽象的な本質を帰納する(抽出する)役割があるとも言えるのかもしれません。

具体的な事柄から本質を抽出したと言うことは、抽象度が一段上に上がると言うことになるそうです。

つまりは、階層的な認識、または階層構造が形成されたと言うことなのかもしれません。

さらに、場合によっては、抽象的な事柄同士の共通点(又は関係性)からさらに本質を帰納する(抽出する)ことも可能であるようです。

例えば、哺乳類と鳥類は「脊椎動物」であるという共通点を持ち、カブト虫やタコなどの「無脊椎動物」とは区別されます。

すると、さらに一段上の階層構造が形成されたことになるのだと思います。

そして、階層が上がれば上がるほど、具体的な要素は削ぎ落され、極めて抽象的な本質に近付いて行くことになると思います。

逆に、本質的な事柄(公理や定理)は、条件(拘束条件・仮定・具体的な問題設定)を付ければ、それぞれの条件を満たす公式(数式)を演繹できる(導出できる)と言うことになるのだと思います。

また、本質的な事柄(公理や定理)は、それらを組合せることよって、様々な場面や状況(問い・問題設定)において、多様な表現・多様な演繹(導出)・多様な応用が可能であると言えるのかもしれません。

また、数学においては、数学の事象(表現)の間に関係性を見つけ出すことで、数学的表現(数学的思考)のネットワークを発展させることができるようです。

人間の外界に対する認識が広がって行くように、数学の各分野の知識も互いに関係し合って結び付き、広がっているようです。

なお、以前に数学に関する記事(その1その2)も書きましたので、ご参考にして頂ければ幸いです。

おまけ

その本によると、数理モデルを使った脳の研究では、脳のモデルとなるネットワーク構造にフィードバック回路(回帰、再帰)があることが大事で、元に戻す構造(循環構造?)が脳の中にあると、カオスができるそうです。

このことは、もしかすると、陰陽五行説の陰陽の太極図(たいきょくず;下の挿絵ご参照)と関係があるのかもしれないと思いました。

なお、その本によると、そのカオスが人の記憶や学習において重要な役割を果たしているそうです。

また、陰陽五行説の「陰と陽」の考え方とは、次のようなものです。

「混沌」から生まれた「陰」と「陽」は、基本的には対立した・相反した概念なのですが、

「陰」がその極致に達すると、「陰」の中に「陽」が生まれます。逆に、

「陽」がその極致に達すると、「陽」の中に「陰」が生まれます。

「陰」と「陽」は、常に共存していて、実は通じている・循環しているもので、「陰」と「陽」は完全には分離できません。

陰陽五行説を作り上げた古代中国の方が、どれほど複雑系科学を先取りしていたのかはよく分かりませんが、人間の認識の中には、カオスや混沌(=識別不可能なもの)という概念(機能)が予め組み込まれているのかもしれません。

なお、その本によると、複雑系とは、「システムを分解して要素を理解してそれを集めれば全体であるシステムの理解に至る」と言うことにならない物のことを指すそうです。

なお、その本には、カオスという言葉が頻繁に出て来ますが、明確には定義されません。

カオスとは、ランダム(乱雑・無秩序・複雑)な動きをする予測不能なものと言った感じのものなのかもしれません。