ヨーク研究所
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研究者のなり方

研究者の視点から子供の頃に身に付けたいこと

クマの子供

今回は、研究者の視点から「子供の頃に身に付けたいこと」を検討したいと思います。

研究者にとって私が大切だと思う能力の1つは、独学力です。研究者だけではく、成功者と呼ばれる人は独学力が高いと私は思っています。

幼稚園

興味の赴くままに

研究者の視点から、幼稚園の頃に「しておけば良かった」と思うことは特には思い付かないのですが、子供が興味を示したことを飽きるまでやらせてあげるのが良いのかもしれません。

例えば、私の通っていた幼稚園では土曜日に工作の時間がありました。私は工作の時間が大好きでした。逆に言うと、工作の時間しか楽しくありませんでした。よって、もっと工作の時間があれば良かったと思います。

さらに、レゴを使って建物、城、船、ロボットなどを作る時間があれば良かったと思います。

私は中学生になってから将棋を知り夢中になりましたが、幼稚園の時に将棋に出合っていたらどうだっただろうかと思います。

知的なゲームなどに触れる機会を多く作ってあげると、脳の発達には良い気がします。しかし、やはり興味を示す時期には個人差があると思うので、興味を示したことから「とことん」やらせてあげるのが良いかもしれません。逆に、興味を示したことなら、幼児には少し高度と思われることでも「どんどん」やらせてあげても良いと思います。

つまり、必ずしも「広く浅く」教育するのではなく、「興味に深く」教育しても良いような気がします。

一方で、幼稚園の時に食べられなかった物でも高校生ぐらいになると食べられるようになるように、何にでも個人のタイミングがあるような気がします。

ゆえに、大人の視点から将来のことを考えて、「興味のさなそうなこと」でも色々とやらせてしまうのは良くないのかもしれません。

小学校

読書する習慣

小学校で身に付けたいことは、本を読むことです。本を読むことは独学の基本になります。

実は、私は自ら本を読むようになったのが遅かったです。漫画でさえ読みませんでした。原因の1つはテレビかもしれません。テレビによる視覚や聴覚からの情報伝達が、自ら本を読んで情報を得るよりも速いことを子供ながらに理解していたのかもしれません。

つまり、漫画を読むよりもテレビを見た方が楽だし手っ取り早いと思っていたと思います。

そんなテレビ好きの私ですが、友人の家である漫画を読んだことをきっかけに少しずつ本を読むようになります。テレビにはない面白さに気付いたのだと思います。ゆえに、本を読むようになる時期にも個人差があると思います。

小学校では、自分の興味のある本や漫画を読む習慣が身に付けばしめたものだと思います。

なお、アメリカでは読書教育が重視されているようですが、やはり自ら学ぶことの基礎作りという意味合いが背景にあるように感じます。

理由を理解する習慣

小学校では、あまり説明されずに頭ごなしに指導されることがあると思います。

例えば、掛け算表(九九の表)を覚えることはその典型です。なぜ掛け算表を覚えなければならないのかを理解しなければならないと思います。

実際に、小2の私は母親に「なぜ掛け算表を覚える必要があるのか」を尋ねましたが、母親は答えられませんでした。

掛け算とは本来足し算であることをまず説明してあげる必要があると思います。足し算なので覚える必要はないのだけど、何度も繰り返し足し算をするよりも掛け算として覚えておくと計算スピードが速くなり、より複雑な計算が簡単にできるようになることを伝えれば良いと思います。

丸暗記しかしていない小学生は、掛け算表のある部分を忘れてしまうと、計算ができなくなってしまいますが、掛け算は本来足し算であることを知っていると、足し算をすれば、時間はかかりますが答えは出すことができます。

子供だと思い、あまりきちんとした説明をせずに、頭ごなしに指示を出してしまうこともあると思いますが、きちんと説明すれば理解できる子供もいると思います。

子供にとって世の中の仕組みを理解することは容易ではありませんが、世の中の仕組みを説明してあげることは大切だと思います。

なお、アメリカでは子供の時から「鬼が来るよ」や「お化けが出るよ」的な子供用の言い方はせず、大人と同じ説明を何度も繰り返す家庭もあるようです。

また、そもそも理由を知りたいと思うようになるためには、先生や大人などに言われたことを素直に受け入れない、つまり疑ったり疑問をもつことが大切になると思います。

覚えること・勉強することの意義

小学生の私は覚えることが学校で重視されていることに気付きませんでした。実際に、小学校の時は先生から「覚えなさい」と言われた記憶は少なく、覚えることを全くしていませんでした。

小学生で覚えると言えば漢字の学習ですが、私も宿題で漢字の練習はしていましたが、覚えるという意識が少なかったと思います。ゆえに、テストでは漢字が書けない訳ですが、テストで良い点を取ることに関心がないため、書けないままの状態が続きました。

覚えることの意義を説明しないといけないと思います。

それを説明するには、生きて行く上で勉強することの意義をまず説明してあげる必要があるかもしれません。

ある哲学者の方の記事によれば、勉強する理由は「他者の自由も認めながら生きたいように生きられる」力を得るためであるそうです。

大人にとっては納得できる理由だと思いますが、この理由を余ほど上手く説明しないと、社会的な経験の少ない子供には響かないかもしれません。

まず、子供の自立心を少しずつ育てて行く必要があるかもしれません。

最先端の科学に触れる

小学校の高学年ぐらいから将来の夢として科学者になりたいと思う人も出てくると思います。私もそうでした。

私の場合は本を読まないので、アメリカの映画『ジュラシック・パーク』の影響が強いと思います。それを見て私は純粋に恐竜を復活させる研究をしてみたいと思っていました。

小学校も高学年ぐらいになると実現可能か不可能かの判断が付くため、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター』は夢物語だなと判断するのですが、『ジュラシック・パーク』はもしかすると近い将来ほんとうに実現するかもと思わせる説得力がありました。

誰にもできない難しいことをやっている科学者に私は憧れました。

アメリカ政府の戦略なのかはわかりませんが、「子供たちに科学への興味を抱かせる」と言う意味では映画による植付けは効果的だと思います。

日本政府も子供たちに科学に興味を持ってもらおうとしていると思いますが、日本の場合、もし植付けをするなら、実写映画よりもアニメ映画の方が向いているかもしれません。

いずれにせよ、子供たちに興味を持たせるのに「子供だまし」は通用しないと思います。大人が本気でやっていること(つまり最先端の科学)に子供は強い関心をもつと思います。

個人的には、科学教育は実技(実験や観測)や最先端の科学から入るのが良いと思っています。ただ、現実的には安全性や予算、学習時間の関係から小学校で実験を中心に科学教育することはほとんどないと思います。

自ら考える習慣

社会の急激な変化に対応するためには「覚える」ことよりも「考える」ことが重要であると最近よく主張され、教育の場で様々な変化が起こっています。研究者の視点からも、良いアイディアを生み出すためには日頃から自分で考える習慣が大切だと思います。

小学校の時に私が「考えた」つまり「頭を使った」と思う教科は、算数よりも図画工作だと思います。確かに算数も面積を工夫して求める問題では、少し考えた記憶があるのですが、図画工作も「何を作るか」に頭を使ったと思います。

高学年の図画工作の授業では、「好きなものを作って良い」という課題がしばしば出たと記憶しています。「無から有を作れ」と言うような課題で、みんな何を作ろうか悩んでいたと思います。

私は自宅での自分の創作活動に役立つものを作ろうと思い、工作用紙を切り貼りし戦艦を作りました。自分の世界を持っているようなタイプの生徒は、このような創造的課題は得意なのかもしれません。

やはり、ここで重要なのは「自分で考えたかどうか」だと思います。つまり、生徒の中には他の生徒の真似をしてしまう子もいます。ただ、小学生の考えていることなので、似てしまうのは仕方がないのかもしれません。逆に、人の真似さえしなければ、自分で考えたということになり、評価されるのかもしれません。

真似という意味では、近年、日本はアメリカの真似ばかりしていると思います。例えば、裁判員制度、マイナンバー制度、働き方、2020年度からの新学習指導要領(アメリカの教育の真似?)などです。