今回は、村上隆著『芸術起業論』に基づき、現代美術家と理学系研究者を比較してみたいと思います。
現代美術の世界を紹介しつつ、理学系研究の世界を紹介できれば幸いです。
美術家と研究者を比較した結論
現代美術家は作品作りだけしていれば良いという訳ではなく、作品作り以外の部分(営業や商売など)が現代美術家として生計を立てるためには重要であるそうです。
理学系研究者も研究だけしていれば良いという訳ではなく、研究以外の部分(営業や運営など)が研究者として生き残るためには重要です。
現代美術家の世界
『芸術起業論』著者の村上隆さんによると、欧米の芸術の世界で、芸術家として活躍するためには、まず欧米の芸術界における「暗黙のルール」を学ぶ必要があるそうです。
この「暗黙のルール」に沿わない作品は、評価の対象外となってしまうそうです。
日本人アーティストの多くが、これまで世界で通用しなかったのは、この「暗黙のルール」に沿わない作品を制作・発表していたためだそうです。
それでは、欧米の芸術界における「暗黙のルール(不文律)」とは、何でしょうか。
欧米では芸術にいわゆる日本的な、曖昧な「色がきれい……」的な感動は求められていません。
知的な「しかけ」や「ゲーム」をたのしむというのが、芸術にたいする基本的な姿勢なのです。
欧米で芸術作品を制作する上での不文律は、「作品を通して、世界芸術史での文脈をつくること」です。
そして、欧米の芸術界で、作品の価値を決めるのが、作品を通して伝えられる「観念」や「概念」なのだそうです。
ゆえに、欧米の芸術界で高い評価を得るためには、多くの関係者に自分の作品の「観念」や「概念」をドラマチックに説明することが大事なのだそうです。
ちなみに
研究者の世界にも、確かに研究の歴史があります。その歴史を無視して、例えば、既に発表されている理論を自分が考え出したものとして発表しても、相手にされません。
また、確かに、研究者の世界で、研究の価値を決めるものは何でしょうか。研究成果がその研究分野に大きな進展をもたらすかどうかでしょうか。又は、研究成果がもつ影響力(波及効果など)でしょうか。
村上さんの言葉から研究者の世界を垣間見る
『芸術起業論』の中で村上さんが主張されていることは、研究者の世界にも当てはまることが多いので、村上さんの言葉をヒントに研究者の世界を紹介したいと思います。
1) アーティストの目的は人の心の救済
理学系研究者の場合、研究の目的は人の探求心を満たすことでしょうか。
また、芸術家は自分の欲望を強く打ち出す必要があるそうですが、研究者の場合は、自分は何に興味があるのか、何を研究したいのかを明確にする必要があると思います。
2) 芸術には、金が要ることから目を逸らしてはいけない
確かに、研究にもお金が掛かります。理学系の研究の場合は、税金を使って研究することになります。
現在、研究者が研究費を獲得するのに、膨大な時間がとられてしまう背景には、日本の経済状況が関係していると思います。
今後もこのような状況が続くことが予想され、研究者はますます自分の研究の重要性や価値を分かり易く説明することが求められることになると思います。
「何となく興味があるから」や「何となく面白そうだから」では、研究者として生き残れない可能性が高いです。
村上さんによると、芸術作品は自己満足であってはならないそうです。芸術の世界でも、価値観の違う人にも理解してもらえるような客観性が必要とのことです。
また、基礎研究は芸術とは違い、なかなかお金と繋がりにくいです。どんなに素晴らしい論文でも論文自体に数億円の値が付くことはありません。
3) 日本の美術大学は生計を立てる方法は教えてくれない
確かに、大学では、アカデミックの研究者つまり大学教員になる方法は教えてくれません。
学生は、周囲の情報や状況から大学教員になる方法を感じ取らねばなりません。
研究で優れた成果を出せば、アカデミックの世界で生き残れる可能性が高いと思いますが、分野によってはなかなか優れた成果が出ない時期や時代もあります。
そのような中でも、生き残るためには、村上さんの言う様に、生き残る戦略やテクニックが必要になります。
例えば、作品制作においては、お客の要望に応えつつも、確信犯的に聞き流す反逆的なテクニックも必要であるようです。そうしなければ、芸術家の活動は経済的に破綻してしまうとのことです。
実は、このようなテクニックは研究者が自分の研究で生き残るためにも必要であったりします。
例えば、巨額な研究費で運営される大型研究プロジェクトがあったとします。
ただ、そのプロジェクトは、自分がやりたい研究テーマとはややずれていたとします。
その場合、そのプロジェクトの研究員として採用されるため、採用前は「自分のやりたかった研究は、正にそのプロジェクトの言うところのものです」と言いつつも、採用後は自分のやりたい研究をやってしまうと言うようなことがあります。
もちろん、自分のやりたい研究をやってしまったにもかかわらず、何の結果も出せない場合は、研究の世界を去ることになるかもしれませんが、結果(論文)が出せれば、大目に見てもらえることもあります。
4) 熱量のある雰囲気がなければ客はつかない
研究者にも当てはまることだと思います。
研究者の場合、「客」ではなく「研究費」や「優秀な学生」になるかもしれません。
研究室の良い噂は学生を引き付けますが、悪い噂は学生を遠ざけます。
5) アーティストの商売相手はアメリカの富裕層
なお、村上さんによると、今の芸術界の中心地はアメリカとのことです。研究の世界でもアメリカです。ノーベル賞を受賞されている方の数が違います。
若手研究者の場合、商売相手は、所属する研究室の教授やボスになると思います。
いくら優秀な研究者でも、ボスの推薦書がもらえなければ、アカデミックの世界で生き残るのは難しいかもしれません。
ゆえに、ボスにはかなりの権力(人事権)があります。ボスの好みを知り、ボスとうまくやって行くことが必要になります。
一方で、ボスも優れた研究者を輩出できれば、学会の懇親会などの社交の場で鼻が高いのです。
なお、アインシュタインはボス(学部長)と仲が悪かったようです。結果として、アインシュタインは大学の助手になれず、特許庁などで働きながら研究することになります。
6) 物語がなければ芸術作品は売れない
研究の世界でも、優れた研究成果には、試行錯誤による頭脳戦の物語(ドラマ)が伴うことが多いです。
例えば、次のテレビ番組
- 『NHKスペシャル 神の数式 第1回 この世は何からできているのか~天才たちの100年の苦闘~』
- 『NHKスペシャル 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか~最後の難問に挑む天才たち~』
- 『NHKスペシャル ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞“革命”』
は科学者たちのドラマを分かり易く伝えてくれていると思います。
7) ヒットというのは、コミュニケーションの最大化に成功した結果
若手研究者にとってのヒットと言うのは、アカデミックの世界(大学)で職を得ることだと思います。
確かに、アカデミックの職を得るための方法として、コミュニケーション力を活かして学会などで顔を売ることが必要だとされています。
ただ、本当に研究好きな研究者の中には顔を売ることに全く興味のない人もいます。
確かに、このような人はアカデミックの世界に残ることは難しいかもしれませんが、研究好きだけあってそれなりの成果を出すことがあります。
8) お金持ちの「物足りなさ」が芸術に向かう
基礎研究に興味のあるお金持ちもいると思いますが、お金持ちが基礎研究にお金を出しているという話は、私の分野(計算物質科学系分野)では聞いたことがありません。
ただ、関連企業や財団などの組織が、共同研究や援助活動などで、研究費を負担してくれることはあると思います。
9) 制作費の問題
村上さんによると、予定額以上に制作費がかかってしまった時でも何とかなる構造を作らないと、客が喜ぶ「世界でただ一つのもの」を作る過程が絶たれ、他と似たりよったりのものしか作れなくなるそうです。
私の分野では、人材不足の方が深刻かもしれません。博士課程に進もうとする学生さんも減っています。
ただ、アメリカや中国のような研究者が集まる仕組みを日本が作ることは、もはや難しいかもしれません。実際に、アメリカと中国の研究予算は飛び抜けています。
科学者にとてつもなく良い待遇を与えることで世界中から研究者を集めることができるかもしれません。
ただ、待遇を良くしたからと言って良い研究成果を出せる訳ではないという意見もあると思います。
しかしながら、少なくとも日本の研究者は研究に専念できた時代にはそれなりに成果(ノーベル賞など)を出していたと思います。
10) 日本の頼るべき資産は技術で、欧米の頼るべき資産はアイデア
私の分野では、技術もアイディアも中国の研究者に負け始めて来ています。
11) 歴史に残るのは革命を起こした作品だけ
これは、研究者にも当てはまると思います。
研究者も、村上さんの言う様に、考え方(→研究方針)や物(→理論)を作る発想を練り上げなければ最終的には生き残れないと思います。
さらに、村上さんは「美術界のサラリーマンになってはいけない」と述べていますが、研究の世界でもサラリーマン研究者がいます。
サラリーマン研究者とは、学力や社会常識などの基礎的な能力はとても高いのですが、自分のアイディアで研究を進めることが苦手な研究者です。指示待ち研究者とも呼ばれます。
ただ、指示待ち学生や指示待ち若手研究者を好むずる賢い教授もいます。その教授にとって、恐らく彼らは使い勝手の良いコマなのでしょう。
12) アメリカでの成功の秘訣は人のやらないことをやること
研究者の世界でもその通りだと思います。
ただ、人のやっていない研究に学術的な価値を与えられるかは、かなり賭けだと思います。
つまり、そのような研究は失敗する可能性がかなり高いです。ゆえに、特に若手はなかなか手が出せないです。
それでも、人のやっていない研究をやっている研究者は非常に魅力的です。
13) 海外の美術の世界で、お客さんが期待するポイントは「新しいゲームの提案があるか」「欧米美術史の新解釈があるか」「確信犯的ルール破りはあるか」
物理学の世界でも、研究者が期待するポイントは
- 「新しい理論の提案はあるか」
- 「理論の新解釈があるか」
- 「既存の理論に破れ(弱点)を見つけたか」
とも言えます。
14) 日本の異端は欧米の評価を受けるが、日本の本道は欧米の評価を受けない
研究者の世界は国際化されているので、このようなことはあまりないかもしれません。
分野にもよるかもしれませんが、私の分野では、国際的に評価を受けている研究者が、日本のその分野の研究を牽引することが多いです。
また、私の感覚では、欧米の研究者は良い研究は良いと認めることが多いような気がします。
むしろ、日本人研究者は良い研究でも認めないところがあるような気がします(私の分野では)。
ただ、欧米の研究者に認められるには、論理的に議論したり、本質を誤魔化さずに説明する必要があると思います。(良い面だけをアピールせずに、悪い面も正確に伝える必要があると思います)
15) 教育の成否
村上さんによると、教育の成否は「自分の興味のある分野を探すこと」と「自分の求めている目的の設定」の試行錯誤にかかっているそうです。
これは研究の世界でも正しいと思います。
ただ、研究者の場合、「目的の設定」というよりは「研究テーマの設定」ということになるのかもしれません。
私の分野では、大学院の修士課程の時に、どのような研究テーマに出会うかは、運によるところもありますが、恐ろしいことに、教授からマイナスのイメージを持たれてしまうと、その研究室のメンイのテーマ(花形のテーマ)をやらせてもらえないこともありますので要注意です。
教授からすると、変な学生(言う事を聞かない学生や相性の合わない学生など)にメンイのテーマをさせることは、色々と後々リスクになり易いようです。
16) 天才同士が戦いを繰り広げている頂上決戦の中で、凡人は斬り捨てられていくのが弱肉弱食の世界のルール
これも研究者の世界でも成り立つと思います。
学問分野にもよりますが、博士号を取得することはそんなに難しくない場合も多いのですが、大学や研究所で安定した職に就くのはとても難しいことが多いです。
教授になるまでの過程(ポスドク→助教→准教授→教授)において、准教授になれれば、一応安心できます。
ただ、最近では日本でも、任期付き教員という職が増えています。例えば、特任准教授という職がありますが、「特任」というのは、任期があるということを意味しています。特任准教授の場合だと、一般に、任期は5年です。
なお、私の分野では、教授になれたからと言って、必ずしも天才という訳ではないです。私の分野では、努力家の教授が多いような気がします。
また一方で、村上さんによると、現代美術で求められるのは、絵の才能などではなく「戦略」で、結局のところ「マネジメントに集中していく人間が勝つ」そうです。
確かに、研究の世界でも、少なくとも私の分野では、研究の才能よりもマネジメント力の方が、大学での職を得る際に重視されているような気がします。
ここで、マネジメント力とは、外部から研究費を取って来る能力だったり、大学の学科や研究室をうまく運営する能力だったりします。
17) アーティストの英才教育をする時に、真っ先に教えたいことは「挫折」
理論系の研究ではなく、実験系の研究では、失敗が続くことが多く、正しい方向に進んでいるのかも分からないこともあるようなので、かなりメンタルが強くないと研究を続けられないようです。
ゆえに、「挫折」と言うのは、研究の世界でも正しいのかもしれません。
さらに、村上さんによると、絵を続けるための動機は、絵をはじめた時の動機よりも、ずっと大事とのことです。
これも理論系の研究よりも実験系の研究で、大切なアドバイスであるように感じます。
理論系の研究の場合は、始めから「できる」か「できない」かのどちらかと言うことが多いような気がします。つまり、あるヒントや条件または解決への道筋が見つからないと、いつまでも解けないことが多いと思います。
実際に、数学者が超難問を解いた物語はそのような感じで、理論系の研究者にとって参考になることが多いと思います。
例えば、次のテレビ番組
- 『NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者 失踪の謎~』
- 『NHKスペシャル 魔性の難問 リーマン予想・天才たちの闘い』
は研究の参考になるかもしれません。
18) 劣悪な社会こそが、芸術家には「いい環境」と言える
理学系の研究は、税金によって行われるので、豊かな社会(余裕のある社会)が「いい環境」なのかもしれません。
ただ、戦中戦後の貧しい時代に朝永振一郎博士はノーベル賞に繋がる研究をされていたようです。
19) 美術の世界の価値は「その作品から、歴史が展開するかどうか」で決まる
研究の世界でもその通りです(作品→研究)。
1つの研究から新しい研究分野が切り拓(ひら)かれることがあります。
そのような研究にたまたま辿り着くこともあると思います。
ただ、そのような研究ができる方は、「未知の不可解な現象」や「未開の新しい理論」に挑戦しようとする強い意志や探求心を持っているような気がします。
20) ぎゅうぎゅうにしめあげていると、しめあげているだけあって、やっぱり最低でも一回は、光が見えるかのような瞬間がやって来る
研究の世界でも、正しい方向に懸命に探求していると、光が見えるかのような瞬間が来ると思います。
光を見たことがあるのと、ないのでは、すごく差があるような気がします。
つまり、その光は研究者としての自信に繋がると思います。
また、一度、光を見てしまうと、研究の世界から抜け出せなくなると思います。
光を見たことがある教授の下で、修行するのが良いと思います。
ただ、その分野の研究者以外の方(学生の方など)が、光を見たことがある教授とない教授を見分けるは大変かもしれません。