今回は、現代美術の視点から「芸術とは何か」を探ってみたいと思います。
芸術とは何か
現代美術家の村上隆さんの本
- 村上隆著『芸術起業論』(幻冬舎, 2006)
- 村上隆著『芸術闘争論』(幻冬舎, 2018)
に基づいて、「芸術(現代美術)とは何か」を調査し以下に短くまとめました。
現代美術の歴史
『芸術闘争論』によると、かつて芸術家は、宮廷や教会またはお金持ちから依頼を受けて作品を作っていたそうです。
それが、19世紀になると、肖像画が写真に変わったり、印刷技術が発達して宗教画の需要が減ったことで、芸術家が芸術家のために作る芸術が現れて行ったそうです。
そして、かつては絵が上手い人が少なかったので、絵が上手いことが最も重要であったようですが、絵が上手い人が増えたことで、絵の上手さや技法だけでは食べて行くことができなくなったようです。
結果として、現代美術では、絵の上手さや技法ではなく、絵や作品が伝える「意味」や「価値」「概念」が重要視されるようになって行ったようです。
芸術の役割・使命
『芸術起業論』によると、芸術の世界で取引されているのは「人の心」であるそうです。
そして、「アーティストの目的は人の心の救済」であるそうです。
例えば、心の中に欠けた部分を持っている画家が、欠けたままの状態で作品を作っていることが作品から見て取れる時、鑑賞者は癒されたり救済されたりすることがあるそうです。
また、芸術作品というのは、人の心を動かして初めて成立するそうです。
実際に、芸術作品は、「成功者」つまり選ばれた者しか生き残れない世界で生きる人の「生きる価値観」に揺さぶりをかけることができるようです。
恐らく、成功者には、成功のために色々なことを犠牲にして来た面があり、成功者は自分の心の穴を何かで塞(ふさ)ぎたいのかもしれませんが、芸術はその心の救済になるのかもしれません。
また、芸術は、この世の「普遍的な仕組み」や「あらゆる可能性」つまりは「ある世界観」を一瞬で理解させれる媒体で、生きる意味を考えさせてくれるものであるようです。
また、芸術とは、命の伝達媒体で、時代を越えて人々に受け継がれて行くものであるそうです。
また、芸術には、「今」を刻印する任務があるそうです。
つまり、芸術には、美を人類の歴史や社会に刻み込む使命があるようです。
また、芸術家の本懐は、作品が後世に残り、感動を未来の人に与えることであるそうです。
また、芸術には、現実逃避したいと望む「人の心」を救済することが期待されているようです。
例えば、「現世」「俗世の喧噪(けんそう)」「ややこしい人間関係」「お金への不安」から逃避したいと望む「人の心」の救済が期待されているようです。
芸術(現代美術)の本質
『芸術起業論』によると、現代美術の要(かなめ)は、「新しい観念」や「新しい概念」を作り出すことにあるようです。
ここで、「新しい観念」とは、これまでの固定観念を打ち破る「新たな発想・視点・認識」のことを指しているようです。
また、「新しい概念」とは、欧米の美術史における「新しい価値」「新しい発見」「新しい話題・テーマ・視座」と言うようなことを指しているようです。
現代美術の要は「概念の創造」なので、言葉が重視されるようです。
つまり、「概念」の説明や「作品にまつわる物語」が重視されるようです。
そして、優れた芸術は、ジャンルを超えて思想にも革命を起こすそうです。
そのような革命的な芸術には、根強い慣習や因習を振り切れる「衝撃」や「発見」「現実味」があるそうです。
一方で、芸術は、「他者に伝えるための技術」であるそうです。
そして、芸術で最も重要な問題は、いかに「新しい表現」を探し当てられるかに尽きるそうです。
そのような表現を発見するのは困難で苦悶(くもん)が付きまとうようです。
ただ、1つのヒントは、自分が興味を抱いた表現分野を徹底的に学び、自分がその分野に興味をもった理由や原因を徹底的に追求・究明することだそうです。
そうすると、自分の進むべき道・目指す道が何となく見えて来るようです。
自分の心の動き(欲望・関心)を研究することが、他者の心を動かす原因や理由を見つけ出す訓練やヒントになるのかもしれません。
なお、「人類の考えの痕跡を残すもの」が「表現」であるそうです。
また、芸術の表現をするには、制作の背景、動機、設定が緻密(ちみつ)に組み上げられる必要があるそうです。
芸術の評価法
客観性と批評
作品の価値や評価は、作品を「作る人」と「見る人」との間で「心の振幅」の取引(共感や驚き)が成立すれば、きちんと上向いて行くそうです。
なお、芸術は、「見る側」と「作る側」の両方を覚醒させるそうです。
そして、作品の価値や評価において、重要なポイントとなるのは、客観性であるようです。
主観だけでは、分かり易い作品のみを評価することになってしまそうです。
例えば、富裕者の愛人が「良い」と言った絵画作品が急に価値を上げることもあるそうです。
このように、作品の価値は、「偶然」や「運」に翻弄されることもあるにはあるそうです。
ただ、主観的な判断は、時代の気分や噂など、不確定なものによって揺れ動く状態での判断で、客観で歴史を作って行く欧米の芸術観からはかけ離れたものであるようです。
残念ながら、日本には、客観的に作品を判断する「批評」が存在していないそうですが、芸術の世界では「批評」が重要な働きをするようです。
実際に、美術批評家による批判は、芸術家の創造を促し、芸術家の提出した謎に対して、ある種の客観性を与えるそうです。
また、批評家の解説によって、作品の「社会的な意義や位置」が明確に把握できるようになるそうです。
さらに、批評は、価値観の違いを乗り越えて作品を理解してもらうことにも貢献するのかもしれません。
一方、日本で力を持っている唯一の評価軸は、「売り上げの数値」と「マーケティング」だそうです。
日本が独自で権威を作るためには「多数が認める」(客観性)や「歴史がある」(成果の積み重ね)などの価値基準を確立することが必須であるようです。
芸術の世界のルール・評価基準
芸術の価値は、「その作品から、歴史が発展するかどうか」で決まるそうです。
芸術の世界では、追従は意味がなく、歴史に残るのは、革命を起こした作品だけであるそうす。
ゆえに、「考え方」や「ものを作る発想」を練り上げなければ、最終的には生き残れないそうです。
つまり、現代美術においては、作品を作る「技術」ではなく、「考え方」に力を注ぐべきであるそうです。
ここで、「考え方」とは、欧米美術界の「ルール」を学ぶことを指しているのだと思います。
例えば、作品制作のルールには「自分自信のアイデンティティを発見して、制作の動機づけにする」というものがあるそうです。
別言すれば、「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」がルールであるそうです。
このルールのために、正直な自分をさらけ出して、その核心を作品化することが求められているようです。これに応えるには、厳しい心の訓練が必要となるそうです。
もう1つのルールは、「作品の中で歴史が重層化しなくてはいけない」というものです。
これは要するに、これまでの「歴史的作品」がもつ表現法や特徴が、自分の作品の中に何らかの形で反映されている必要があるということだと思います。
別言すれば、先人達の作品の影響を受けていることを自分の作品の中で表現することが求められているようです。
さらに言い換えれば、先人達の表現や成果が自分の作品の基礎になっていることを何らかの形で示す必要があるようです。
ちなみに、このようなルールは、画商、資産家、アドバイザー、キュレイター、美術館と言ったプレイヤー達が決めているようです。
そして、このルールは変動し、固定的なものではないそうです。また、プレイヤー達も常に変わるそうです。
現代美術の発明
現代美術には「作品が良くなくてもそこにドラマが付加されれば、ゴッホのように生き残ることができる」という「仕掛け」があるそうです。
「見る人」と、心が共振するところをノックして揺さぶるという意味では、「サブタイトル」つまりは「ドラマ・営業・スキャンダル・演出・戦略」を利用することも必要になるそうです。
実際に、「一人の芸術家の生きる物語だけが商品価値なのではないか」と思われるところもあるそうです。
ただ、何百年のスパンで見れば、歴史を革命的に開拓したのは、ほとんど「天才が偶然に生み出したもの」だったりするそうです。
そして、恐らくこのために、「仕掛け」のある作品でないと中々認められないという美術界の構造・ルールが、天才ではない大半の芸術家のために生み出されたようです。
よって、作品の「仕掛け」や「ゲーム」を楽しむことが、欧米のアートに対する基本的な姿勢になるそうです。欧米人は現代美術でそういう「パズル性」を楽しむようです。
なお、「仕掛け」とは、想像力を膨らますための起爆剤のようなものを指しているようです。
さらに、上述のように芸術では「客観的な歴史化」(先人達の表現の積み重ねやその繋(つな)がり)が重要で、芸術というのは、そういう意味では、自分の力だけで作れるものではないそうです。
つまり、「芸術とは、美術の文脈や歴史と繋がりながら作られるもの」とも言えるそうです。
仮に作品に天才性がなかったとしても、歴史の重層性さえあれば現代美術は可能だという「発明」が現代美術なのだそうです。
死後の評価
芸術の世界では、芸術家の死後に作品の価値を作り上げることが、かなり重要視されているそうです。
死後にも注目や尊敬を獲得できるかどうかで「巨匠」になれるかどうかが判明するそうです。
ゆえに、芸術家の価値は、死後、作品によって決まるそうです。
なお、「芸術家」というのは歴史の中に残っている人のことを言うそうです。
一時的なブームや流行りで評価された芸術家や作品は、歴史的には生き残れないということだと思います。
芸術において、時間の経過(歴史)は、人々の熱狂を冷まし、芸術における客観性や普遍性を保つための重要な選別者・判定者なのだと思います。
芸術と文化
芸術は、作品単体だけで自立するものではなく、鑑賞者がいなければ成立しないものであるそうです。
つまり、芸術は社会と接触することで成立しているそうです。
アメリカの富裕層には、評価の高い芸術作品を買うことで社会的に尊敬されるという文化があるそうです。
ただ、普遍的な(歴史的な)価値がある作品を見抜くためには、様々な知識や意見を吸収する必要があるそうです。
ある程度トレーニングを積まないと作品を見ることができないというのが、現代美術を不可解なものにしている原因であるそうです。
日本の人たちが、現代美術を避けたり、現代美術が分からないと言う理由は、美術の文脈を勉強して作品を知的に理解する必要がある「アート」を、「アート」と認める文化がないからだそうです。
日本人には「アートは自由に解釈するべきだ」という信仰に似たものが蔓延しているそうです。
日本のアニメやゲームまたはアニメのMADという文化をきちんと批評できる人が現れれば、これらは芸術になる可能性があるそうです。
批評というのがあって、初めて人は「コンテクスト(文脈)の重層化した構造」(先人達の表現の積み重ねやそれらの繋がり)を理解するそうです。
芸術家になるには
表現者は、客観的な視点を手に入れることが重要なようです。
つまり、芸術には客観性が必要で、芸術作品は自己満足であってはならないそうです。
価値観の違う人のことを考えられるようになれば、作品は確実に変わって行くそうです。
また、オリジナリティ(独創性)や才能を自分の中から引っ張り出すには、師に密着して教育を受けるのが一番良いようです。
自力で自分の内面を掘り下げて、客観的な視点をもって自分の「内なる欲望」や「芸術的なもの」(作家性)を引っ張り出すのは、不可能に近いそうです。
なお、物事(興味・関心)や現象(ブーム)の理由や原因を徹底的に追究して、必然的な要素を積み重ねることで、ようやくチャンスが巡って来るそうです。
なお、アイディアは出尽くしたと言われる時代ですが、既にあるものを組み合わせて行けば、まだ未来は作れるそうです。
例えば、かつて行われたことを現代に正しく合わせることで、オリジナリティが生まれることもあるそうです。
美(表現)の起源
表現を続けられるかどうかは、もしかしたら「怒りがあるかどうか」が関係しているのかもしれないそうです。
自分への怒り、周囲への怒り、世間への怒りなどが常に溢れて来ることが、芸術家の原動力になっているようです。
強い欲望に根差した活動がなければ、世界に通用する強い価値など生むことができないそうです。
また、「作品のために何でもする」という正義があるかどうかで、結果は変わるそうです。
怒りや執念または「これだけはしたくない」という反発が、芸術家の表現の起源になるようです。
それでは、「怒り」とは、何でしょうか。「怒り」の理由・原因を追究する必要がありそうですが、ここでは「根拠のない怒り」のことを言っているようです。
ただ、「怒り」と「表現」の関係や「怒り」と「創造性」の関係を調査する・哲学すると面白いことになるのかもしれません。
表現性とは何か
以前の記事で、芸術の本質は「表現性」にあることをご紹介しましたが、「表現性」という言葉が抽象的でいまいち分かり難いものでした。
今回、『芸術闘争論』の中に「表現性」の意味するところのものを見つけましたので、ご紹介します。
恐らく、「表現性」とは、次の「圧力」と関係があるものなのだと思います。
芸術を作る時の一枚に対する執着力、もしくは芸術の歴史そのものを作ろうとする執着力、そういう執念みたいものが画面を通じて、もしくは作家の人生を通じてでてくるのが圧力です。
引用元:村上隆著『芸術闘争論』(幻冬舎, 2018)
この「圧力」という言葉は『芸術闘争論』の中で色々な言い回しでより具体的に言い換えられています。それらは、少し長い文章なのでここでは紹介できませんが、この「圧力」という言葉には「作品に魂を込める行為」という意味が含まれているような気がします。
「表現」と「人の魂・精神・本質」。何となく意味深で、何か深い本質が隠されているようなテーマ・ヒント・手掛かりです。